第7章 愛の謂れ
普段は温厚な星乃の鴉も、痺れを切らしたときのみこうして癇癪を起こしてしまうことがある。
反対に、冷静で、鴉たちの中でも賢いとの呼び名が高いのは実弥の鴉。
実弥の性格をよく理解したうえで、叱るときは叱る。見守るときは見守る。その差し引きが絶妙の、よく出来た鴉である。
「オイ」
星乃の手にぬくもりと痛みが走ったのはそのときだった。
気がつくと、遠ざけたはずの実弥の手が星乃の手首を掴んでいた。
「···さね、?」
「俺は、てめぇの弟じゃねェ」
「え···? あ···、ごめんなさいそうじゃなくて、弟弟子だし、弟のような···ってことだったんだけ、」
「言っておくがなァ、俺ァ、お前を姉だと思ったことなんざァいっぺんだってねェからな」
刹那、星乃の双眸に影が差す。
ざわざわと擦れる葉の音も、手首の痛みも、鴉の羽音も。
全てが時の間星乃の周囲から消えて無くなったような感覚に陥った。
薄明が、視界の片隅に溶けてゆく。
「「カアアーッ」」
「わァったっつんだよ」
すっと手首から痛みが引くと、だらりと垂れ下がった腕が鉛のように重く感じた。
「星乃、死ぬんじゃねェぞ」
それだけを言い残し、実弥は星乃の返事も待たずに消えた。
眼前を舞う土埃。
一瞬で、実弥の姿は見えなくなった。
『俺ァお前を姉だと思ったことなんざァいっぺんだってねェからな』
自惚れていた、わけじゃない。
それでも、ほんの少しだけ実弥が心を開いてくれた気がしたことに安堵していた。
今は、そんな自分の思い上がりがとても恥ずかしく思える。
私は、匡近にはなれっこないのに。
「······ばかだなぁ······」
羽織りの裾をくちばしで引っ張る鴉を見つめ、星乃は自嘲気味に微笑んだ。
どんなに情けない自分に気づいても、留まってはいられない。
宵闇は容赦なく鬼を引き連れてやってくるから。
──行こう。
長くなるだろう夜を想い、顔を上げて前を見据えた。