第25章 番外編 ①:*・゚* 或る風のしらべ *・゚・。*:
外はすっかり夜の帳に包まれていた。
雨は止み、湿気を含んだ草木の匂いが闇夜の中に溶け込んでいる。門扉から玄関口までの、小路の脇を彩る青や薄紫の紫陽花が、ぼんやりと列を成すように光って見えた。
遠ざかってゆく義勇の後ろ姿を見送り続ける。幾度となく振り返り、笑顔で手を振る義勇を眺め、いつまでしやがんだよと実弥がぼやく。
口ともに、蕾のような微かな笑みを忍ばせて。
「あーあァ、酔いも眠気も覚めちまったぜ」
「ふふ」
「? なんだよ」
やっぱり酔っていたのね。との一言を口にしかけて胸にとどめた。
おそらく厨での言動もすっかりと頭から抜け落ちているのだろう。
ほろ酔いだった実弥が子供みたいだったことはまだ内緒にしておこうとこっそり思う。話したら、照れ屋な実弥は今後一切のお酒を断つとも言い出しかねない。
実弥には気兼ねなくお酒を嗜んでほしいと思うから。
「じゃあ、今日は私も少しだけお晩酌させてもらっちゃおうかしら」
「どいつもこいつもとっくに眠りこけてやがんぜ?」
「実弥がいるじゃない。私にも少しだけ付き合ってもらえたら嬉しいんだけどな」
ぴちゃん。
門扉の瓦から落下した雨粒が水溜まりに波紋を描き、上空に視線を向ければ黒雲の隙間から覗く朧月が静やかに微笑んでいる。
頬を掠めるほのかな風は、梅雨ももう終わりに近づいていると囁く。
「仕方がねェなァ···。んじゃァ、お酌ついでにつまみでも作ってやるよォ」
「本当? それならふろふき大根をお願いしても?」
「お前本当好きだなァ」
「実弥の作るものが一等好き」
「味噌は濃いめを少量だろ」
「さすが。よくわかってらっしゃるわ」
ぽんぽんと、実弥の手が星乃の頭を優しく弾いた。
微笑みを交わし合う。
どちらともなく指を絡める。
今年の夏は何をしようか。どこへ行こうか。
梅雨が明けたら、蝉時雨の季節がやってくる。
( 完 )