第75章 妊娠記録④おねだり
ある日の深夜。
隣室に人の気配を感じ、リネルは目を覚ました。もう遅いのでそのまま寝たふりを決め込むか 起きてみるかを刹那迷ったが、一応は起きることにする。引きこもりがちな日常が続くと人と会話をしたくなるものである、最近ではそんな夜も多かった。
身体を起こし、小さなノックを響かせた後 イルミの部屋へ足を踏み入れた。
「起こした?」
「ん…起きてた」
暗闇に浮かぶイルミのスマートな陰影を視界におさめ 適当に返事をし、ぼんやりする頭を働かせた。
今日は眠っていたせいかもしれないが、目の前の景色が何故か夢見心地ちに見え 不思議な感覚の中にいた。
「おかえりなさい」
「うん。ただいま」
目の前を大股で通り過ぎるイルミから 鉄の臭いがする。それがやたらと鼻につく事にもいい加減慣れたが、今日はいつも以上に色濃く感じられ 小さな声で指摘を投げてみた。
「血の臭いがひどい。怪我したの?」
「まさか」
「ここまで臭いがつくの 珍しいね」
「そういう殺り方での依頼だったから」
よくよく見れば服や髪にまで点々と返り血が飛んでいる。リネルとて血は見慣れているし然程驚きはしないものの、イルミのそんな姿は初めて見たようにも思う。妙は感覚を覚えたのはそのせいだったのかと勝手に自身を納得させた。
重そうな仕事着をバサリと脱ぐイルミから さらに違う臭いを感じ、リネルは顔を上げた。
「…微かにだけど 甘い匂いがする」
「鼻が効くね」
「香水かな?…違うな お菓子?歯磨き粉?」
「どれも不正解」
「じゃあ答えは?」
「おそらくミルク。赤ん坊の」
今の自分にとっては時事的な事柄であるしリネルはほんのり眉を上げる。そして聞かずとも イルミの本日の仕事内容は想像が出来る。
脱いだ仕事着を無造作にソファに放ると イルミは軽々そこへ腰を下ろす。背もたれに身体を預けふうと息をついた後、普段の調子で話出した。
「まだどう見ても歩く前の子がミルク飲んでて 母親はお腹大きかったよ」
「……」
「ちょうど今のリネルみたいに」
「…そっか」
「キルアとアルカがまだ小さい頃はよく2人で遊んでたっけ。ああいうの年子って言うのかな」