第74章 妊娠記録③羽伸ばし
そんなリネルを横目で見た後、イルミは両手を広げて見せた。
「酷くない?お手上げ ほんと付き合ってらんない」
「妊娠中とは精神不安定になりやすいものだ。結婚した以上ある程度はそれも仕事のうちだと思え」
「報酬も出ないのに?」
どこまでも合理的な息子は 付帯業務に割く手間と時間が解せないと言いたげである。シルバは改めてイルミに目を向ける、キキョウに良く似た面差しの息子を見ながら 俄かに瞳を緩めた。
「産まれた子こそが最大の報酬になるかもしれないぞ」
「にしてもあんな口煩い女でも産まれたら最悪だな」
「うむ…」
「親父は母さんのどこがよくて結婚したの?」
「そうだな」
日頃、質問や疑問を投げればすぐに毅然と答えを返す父が少しだけ間を持ちその返答を止めた。答えの内容よりもシルバのその態度が珍しく、イルミとしては興味を惹かれなくもない。
「昔はもっと奥ゆかしい時期もあった」
「へぇ 信じられないな」
こういう話はあまり乗り気ではないのか、シルバは無言でもってその会話を終わらせる。
話が終ればすぐに部屋を去ろうとするシルバの背中に イルミは声をかけた。
「あ、そうだ 親父」
「なんだ」
「オレの名前って母さんが決めたの?それとも親父?」
シルバは若干眉を上げて振り返り、記憶の奥にある当時を思い出した。今となってはその全てがいい思い出と言えるし つい口元が緩くなる。
「難産と言うのか。イルミ、お前が産まれるまでは時間もかかりあのキキョウが声も出ない程数日苦しんでそれは大変だった」
「母さんが?よっぽどだね」
「名前だったな。お前は親父も待望の初孫でもあったし オレが自ら決めた」
「ふうん、そうなんだ」
「もう考えているのか?」
「まさか 全く。ツボネが考えろって」
この家のためとなればお節介なまでにきめ細かい配慮をするあの使用人らしい。
そういえば。それを実行したかどうかはさておき、過去に受けた提案は悪くないものだったとシルバは記憶を掘り返していた。
「当時、今のお前と同じくらいの時期に似たような事を言われた記憶があるかもしれない」
シルバは言葉尻は曖昧に、だがはっきりした声でそう言った。
fin