第70章 ゲシュタルト崩壊/イルミ流血あり
イルミは指一本動かしはしない。腹の中を弄られているというのに緊張も変な力もなく、病的に白い顔を上に向けたままだ。
イルミの身体は血を流しているし、筋肉も脂肪も血色を保ったまま明らかに動いている。確かに今を生きているのに状況全てを受け入れ 痛いことを痛がりすらしないイルミの姿は、生きる事を放棄しているようにも見えてくる。
弱く儚くて。すがっても掌の間を抜け、独り堕ちて行ってしまいそうで。
昨晩思い描いた恐怖が頭の中に戻ってくる。
ピンセットで新しいガーゼを掴み、血の残る箇所に押しあてた。間髪をいれず 数枚のガーゼを上から重ねてゆく。
「リネルに救護知識があったとは知らなかった」
「…基本的な所だけだけど…」
「独学?誰かに習ったの?」
「ハンター協会の講習プログラムで勉強させられた。ハンター試験で怪我をした人達の手当てとか、前はそういう仕事もよくやらされてたし」
ハンター試験はどこかに必ず実践を伴うので試験中の怪我人はつきものだ。次から次へと運び込まれる受講者は大なり小なりの傷を作ってくるので浅く広い汎用的知識は持っているつもりだ。
だが過去に、ここまで落ち着き払ったまま手当てを受ける人間は見た事がない。みっともないほど取り乱したり、痩せ我慢をしたり、人間らしい反応をしてこそ生きている証ではないのだろうか。
「ホントに何でも屋なんだね リネルって」
「うん。…こき使われてるだけ」
「頼もしいね」
「………………」
これはイルミの嫌味だったのかも知れないが。自分では少しも頼もしいとは思えなかった。
今は一夜が過ぎ冷静であるから対処が出来るだけ。現に昨晩、本当に必要なタイミングでは何一つ出来なかったではないか。