第70章 ゲシュタルト崩壊/イルミ流血あり
トレイにピンセットを置けばカシャリと尖った音がする。箱の中を物色し、手術用の消毒液を取り出した。瓶の蓋を開け中身をトレイに全て開けると鼻をつく臭いが舞い踊る。手袋ごと右手をそこに浸した後、再びイルミの腹の上に伸ばした。だらだら肘を伝う赤褐色の消毒液は、イルミの腹部に新たな染みを作っている。
「ガーゼ抜くよ」
「うん」
「回りが固まってきてるから取るとき痛いと思うけど」
「大丈夫」
こういうのは腹をくくり、一気に進めた方が優しいだろうか。消毒液にまみれたぬるつく指でガーゼをきつく握り締めた。空いた手ではイルミの腰を強めに押さえつける。
イルミの体内に埋められた布を思い切り引き抜いた。手を使えば期待通り、うまくいった。
出来るだけ毅然と進めたい、と思うのだが。リネルの表情だけは いつの間にか大きく歪んでしまっていた。
通常、怪我の痛みというのは気が動転し興奮状態にある当日よりも 落ち着きを取り戻した翌日の方が大きいものである。これだけの傷を負っておきながら一環して呻き声一つあげないイルミには 痛覚が無いんじゃないかと本気で思った。
膨張しているガーゼはリネルの右手を覆うほどだった。中途半端に固まった血塊を多く含み、どろりと重たくなっている。イルミの一部であったそれを手にしていたくなくて、銀色のトレイに急いでガーゼを置き捨てた。
いよいよ腹の中が露わになる。損傷した太い血管を「とりあえず」縫合しているのは どう見ても人工物の真っ黒い糸だ。どくんどくんと弱々しく動く赤い肉に合わせて揺れる様は、寄生虫が体内に住み着きうぞめいているようにも見える。縫い端の隅からはまだ、鮮血が滲んでいる。
「……ねえ」
「なに?」
「痛くないの?」
「痛いよ」