第35章 潜入
クリスフォード邸近くに止められた車から見える景色は想像以上だ。リネルは不安と共に感嘆の溜息を漏らしていた。
見るからに広大な敷地には、既に着飾った大勢の男女の姿があり にこやかに挨拶や談笑をしている様子が伺えた。
落ちかけた夕陽、屋敷と広い庭に灯された明かりが溶け合い 何とも言えない幻想的な雰囲気を醸し出している。何やら聞こえてくる耳に心地よい音楽を探せば、正装をした数人の楽隊が 生演奏を奏でていた。
ゾルディック家の所持する車は決して見劣りするものではない筈なのに。それに一切引けを取らぬ高級車が次々と横付けされ その価値を競うようだった。
あれだけ本日のためのイメージトレーニングを重ねてきたのに 少しでも気を抜くと、この取りすました雰囲気に飲み込まれてしまいそうになる。リネルは口を一文字に結び、目線だけをキョロキョロと動かしていた。
後部座席のドアが開く音と共に、隣からイルミの声が聞こえた。
「リネル 行くよ」
「うん。」
本格的に、スタートだ。
先に降り立つイルミがリネルに向かい、自然に掌を差し出してきた。
「……。」
リネルとてその行動の意図がわからない訳ではない。しかし初めて見るその仕草にはつい戸惑ってしまう。こういう場ではそれが普通だろうかと思い直し、何食わぬ顔で自分の手をそれに重ねた。
引っ張られるように車の外に立つと、賑わう声や音楽がよりはっきりと聞こえてくる。リネルはまたも目線だけであたりを見渡し、手を引かれるままに歩き出した。
「っ?!」
急にイルミに腰を引き寄せられた。
半身がべたりと密着し ふんわり鼻をかすめるのは正装のせいなのか 普段とは違うイルミの香りだ。リネルは思い切り顔をあげた。
「どうしたの?」
「や、別に……」
考えてみればこういう場では当たり前だ。俗に言うエスコートとかいうやつだとは思うが、何せ日頃 そういった行為以外にイルミと触れ合う事は殆どと言っていい程にない。
まして普段よりは随分魅力的に見えるイルミにそんな紳士めいた行動をされると、背中から腰に回される腕の感触がよりリアルに伝わる気がして つい先日にそこに抱かれた事をふと思い出してしまった。不謹慎な考えを見抜かれぬよう、気をそらすためにリネルは無理矢理に周りに目を向けた。