第9章 彼女の願い事
「シャンクスさんってお母さんの友達?」
隅っこから退屈そうな子どもの声。数分間アンの存在をすっかり忘れていた。
(アンってもしかして…)
確かにアンにはセイラの面影がある。あのとき似ていると思ったのは見間違いなんかじゃなかったんだ。
「…ええ、そうよ。
シャンクス、娘のアンよ」
(やっぱり…)
結婚して子どももいるだろうと予想していても、やはりショックだ。自分以外の誰かと結ばれて幸せな家庭を築いていた。あまつさえ自分の店を持つというあの頃の夢まで叶えている。
心の底から彼女の幸せを祝ってやれないなんて、おれはこんなに薄情な人間だったのだろうか。
「……気持ち悪りぃ…」
あの後食事をしながら当たり障りのない話をして、小料理屋を出た。美味いはずのセイラの料理が喉を通らなかった。
次に行ったバーで浴びるように酒を飲み、酔いが回って電信柱に寄りかかりながら嗚咽するシャンクスをベックマンは冷え切った目で見つめていた。
(この目で広い世界を見に行きたいから別れてくれって言ったのはおれだ…)
彼女を縛りたくなかった。いつ戻るかわからないのに、待っていてくれなんて言えるはずがなかった。
失った左腕がずきずきと痛む。幻肢痛だということはわかっているのにこの痛みはなくならない。
「頭、セイラのことがそんなにショックか?」
「ショックなんかじゃねぇ!これは祝い酒だ!おれ以外の男と幸せになっていいことじゃねぇか…。うっ、ううっ…」
涙が溢れてくる。飲みすぎたせいか感情が溢れて、言動と行動が破綻しているが仕方ない。
それもこれも小料理屋に連れて行ったベックマンのせいだと責任転嫁した。
「祝い酒?あんたもしかして……」
シャンクスはとんでもない思い違いをしていた。落ち着いて考えれば分かることだろうに、今まで行き当たりばったりで生きてきたツケが回ってきたのだろう。