【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】
第2章 冬
──時間を、ちょうだい?
一瞬、時が止まったような感じがして、そのあとすぐに目の前の青年(仮)が不埒者であるという可能性が閃いた。実を言えば、たまにあるのだ。従業員でも客でも、声をかけてあわよくば即物的な関係になろうとする不届き者が。
「……お客さん」
マスターがいつものごとく間に入る。こういうとき、マスターはいちばんに声を上げ、その場を上手く収めてくれるから頼もしい。
いつもなら成美はこの段階で場を離脱するのだが、今回はなぜだか目の前の男から眼を離せなかった。
「あ、違います! 誤解です! 僕たち、そのぅ……武装探偵社、の者でして……」
「そう! 少し話を聞きたいだけだ。そのために珈琲をふたつも頼んだ。僕は飲まないからね!」
マスターと顔を見合わせる。訝しさはまだ消えてなかったけれど、白髪少年の申しわけなさそうな顔に免じて話を聞くことにした。どうせ狭い店内なのだから、何かされそうになればすぐにマスターに助けを求められる。
「あの、驚かせてしまってすみません……」
「大丈夫です。それで、私に訊きたいこととはいったいなんでしょうか?」
「〝ヴァレンタインの悲劇〟」
「──っ!」
本物だ、と悟った。この探偵たちは本物で、さらに言うならば糸目の方は適うべくもない相手であると。
名前も知らない目の前の彼に、きっと自分は何もかも話してしまう。そんな確信さえあった。
「……訊きたいのは、五年前のことですか」
「うん、それさえ訊ければもういいよ」
「そうですか──
──〝これ〟を話すのは、五年前の事情聴取以来です。わたしの、人生を変えた事件のこと──」