【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】
第6章 冬:二度目のはじまり
探偵社までの道のりが、やけに長く感じた。
いつもならこんなに焦らない。けれど、今回は成美が絡む事態だ。福沢は成美の幸せを願って、この五年間を過ごしてきたのだ。だからこそ、乱歩にはすべてを訊かなくてはならないと思った。
──『成美も、いつかは自分を受け入れられるときが来る。そして、自分を受け入れ包む者も現れる。そのときを待て。成美、おまえは、幸せにならねばならない』
いつか言った、この言葉は福沢の本心だった。成美が自分に抱いていたのが恋慕でもなんでも、今は自分に縋っても、ずっとそうあるべきではないと思っていた。
抱いてしまったのが、同情か、憐憫か、と訊かれれば、そうかもしれない。それでも、成美の望みを叶えてやりたいと思ってしまったのは、きっと同情でも憐憫でもない。
「乱歩」
「……なに、社長」
「来い」
福沢と乱歩の、いつもでは考えられないただならぬ雰囲気に、社内が騒然とした。有無を言わさぬ表情の福沢に腕を引かれ、乱歩が腰を上げる。
ここ最近の乱歩のぴりぴりした雰囲気には、社員の全員が気づいていた。それに成美が絡んでいることも、社長である福沢が絡んでいることにも。
大きく音を立てて閉まった扉を凝視する社員たち。気にならないわけではないけれど、仕事をしなければならないので、そちらを気にかけながらもみなが机に向かった。
───
「おまえは、成美に何をした」
「………」
「成美は、あれから一週間暇を取ったらしい。様子がおかしかったと店主も言っていた」
「行ったんだ、あの喫茶店に」
「ああ、谷崎に教えてもらってな。乱歩、質問に答えろ」
乱歩は静かだった。いつも笑みをたたえている顔は引き結んだ唇が目を引き、自信満々に胸を張った姿勢も、今は伏せ気味の顔が目立つ。
福沢は最悪の事態を想定していた。成美の本質も乱歩の本質も知っている福沢には、たとえそうなっていたとしても関係の修復が可能であるとわかっていた。けれど、そこには誰かの叱咤が必要になることも知っていた。