【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】
第5章 秋
──たしかにあれは初恋だった。
十六で両親が死に、福沢と出会った。武骨で、やさしくて、父以外ではじめて相対した男だったのだから、恋をしない方が無理な話だった。
自分の身体をなぞる、骨ばった指の感触が忘れられなくて、思い出だけで生きてきた。ひどくするぞと脅したくせにその指はやさしくて、期待させるようで、きっと酷くされるより非道かった。
始める前に、きっと痛いぞと言われた。成美は行為について知識程度しか知らず、痛みは想像するしかなかったけれど、実際考えているより痛くて、呻きながら泣いた。
ほら見ろと言わんばかりの目をした福沢に無理を言って最後までしてもらったのは、そうでなければ今まで生きていた意味がないと思ったから。
痛くて痛くて、それでも幸せで、つながったと思えた瞬間に嬉しくて泣いた。
──あの夜、私はこのために生まれたんだと、馬鹿みたいに思えた。
暗い部屋の中、膝を抱えてうずくまるように顔を伏せる。今までなら、あの優しい夜を思い出せばつらくても何とか立ち直れた。けれど今回は──
成美の頭の中を占めるのは、あのときの乱歩の表情だった。驚いたような、糸目をうすく開いた、見たことのない表情。
そこまで考えて、成美は自嘲した。〝見たことのない表情〟なんて、あって当たり前だった。だって、乱歩と出会ってから、まだ一年も経っていない。
──知った気になっていた。乱歩さんのこと。
あの夜、はじめての痛みに流した涙より、今頬を流れていく涙の方が幾倍も痛かった。