【文スト】Vanilla Fiction【江戸川乱歩】
第4章 夏
目覚まし時計のおかげで、いつもどおりの時間に目が醒めた。成美は起き上がってはみたものの、どうにも布団から出られなくて、またシーツに身を沈めた。
こんなことははじめてだ。寝不足ではないし、体調が悪いわけでもない。ましてや堕落でもない。起きなければという思いはある。それでも、成美はもう一度あのカウンターに立つのが怖かった。
「……すみません、熱が、ありまして、今日は出勤できません……」
『うん、大丈夫だよ、成美ちゃんは勤勉だから、ちょっとくらいは休んでもいいと思ってたし……今度は、普通に休みを取ってどこか遊びに行ったりしてもいいんだからね』
「……はい、ありがとうございます」
『……昨日のこと、そんなに気にしないでね。あの親父は、成美ちゃんを本当の娘みたいに思ってるから、つい、力が入っちゃうんだよ』
「……はい、大丈夫です、すみません」
ゆっくり休むんだよ、というマスターの優しい声が、成美の罪悪感をひどくかき立てた。ずる休みが悪いことだとわかってはいたけれど、あの場所で、もう一度でも何かあったら、それが引鉄となって成美をひどく傷つける銃弾が撃ち込まれることは火を見るよりも明らかだった。
──でも、誰も、悪くなくて。
いちばん悪いのは自分の異能だと、成美は泣いた。頬をすべり落ちていく雫を拭いもせずに、成美は乱歩のことを考えていた。
あのとき、もっとうまい対応ができていれば、彼にあんな嘘をつかせなくてもよかった。乱歩は決して明言しなかったけれど、あれではあの場にいた全員が、成美と乱歩を〝恋人同士〟だと勘違いをしてしまう。
──わたしの気持ちは、〝恋〟なんて奇麗なものじゃない。
周りが自分たちをそう勘違いすることで、外堀が埋まっていくような気がしていた。申しわけなく思っているのに、成美の中には、だんだんと乱歩との距離が近づいていくことに喜びを感じている自分さえいた。
──穢れている。こんなわたしを、きっと誰も好きになってはくれない。