第11章 黒と蜜、紅と熱 * 信玄END
「初めて俺を好きだと申したな」
「っ……」
「だが、過去形か。それが、貴様の答えか」
「はい……」
「────そうか」
そして、ふっと口元を緩めた。
それはどこか清々しく、吹っ切れたような顔。
こんな柔らかな表情は初めて見た気がする。
信長は美依の手を借りながらゆっくり立ち上がり、目の前の俺に視線を移す。
まるで迷い子のようだった瞳は、今はもう紅い硝子玉のように透き通り……
それでもいつか見た冷酷なものでもなく、柔らかく燃えているようだった。
「……信玄」
「なんだ」
「────美依を頼む」
「言われなくてもそうするさ」
「泣かせようものなら、すぐさま奪い返す。その時は今日以上の傷を負わせてやる、覚悟しておけ」
「そんな日は一生来ないから安心しろ」
俺が不敵に笑えば、信長もそれに習う。
もう……大丈夫だろう、この男は。
二度と迷ったような目をすることも、光無い眼差しをすることもないだろう。
血に染った、白い羽織。
とても痛々しくとも、それは俺達には必要だった。
(救い出したいは、偽善だったかもなー)
俺はこの子が不幸せに感じていたように思っていたけれど、確かに二人の間に『愛』はあった。
方向を多少間違えただけで、この男はきっと根は純粋な奴なのだと思う。
だからって縛っていい理由にはならないが……
俺も、信長も、そして美依も。
これからはもっと…生きやすくなるはずだ。
────そうだろう、美依?
その後、信長はいつものように堂々とした立ち振る舞いで俺達の元を去っていった。
見送っていたときは、堪えていたのだろう。
信長の姿が見えなくなったら、美依は火がついたように泣きじゃくった。
そんな姫を慰め、癒してやる。
これからは、俺達の愛を育む番なのだから。
たくさん傷ついた分…幸せにならなければならない。
俺達は前を向く。
そして、たくさん愛し合って幸せになる。
それがあの男にとっても、一番良い事だからだ。
俺は泣く美依の背中を撫でながら、すっかり日の昇った空を見上げた。
澄んだ青、どこまでも抜けるような快晴に……
『朝の来ない夜はない』
それを改めて実感して、目を細めたのだった。