第11章 黒と蜜、紅と熱 * 信玄END
「美依、これからの事だが」
「はい……」
「俺はこのまま君を攫って、甲斐へ連れていく。信長には会わさずに…ここを発つつもりだ」
「えっ……」
すると、美依は驚いたように目を見開いた。
そして、俺の胸にしがみついたまま、か細い抗議の声を上げる。
「せめて、お別れを言えませんか?」
「信長に会って、揺らがない自信はあるか?」
「っ……」
「君は優しい子だから、いざ信長を目の前にすれば、非情な態度は取れなくなるだろう。それに、俺はあいつと対峙しようものなら、斬り掛かってしまうかもしれない。それは…出来れば避けたい。君はいい子だ、解るな」
(自制はしているが…いざあの男に会ったら、自分を制御する自信はない)
この子の中には、まだ信長は居るだろう。
それは一夜やそんなものでは消えないはずだ。
だから、信長に会えば…美依はあの非道な男を許してしまうもしれない。
それに、そんな姿を見ようものなら、自分自身どんな行動を取るかも予測出来ない。
もしかしたら、怒り狂って…この子の目の前で殺す事も有り得る。
そんな事をしたら、この子はまた傷ついてしまう。
ならば、合わずに掻っ攫うのが得策だ。
きっと信長は探すだろうが…落ち着いた頃、文の一通でも送ってやればいい。
俺の言葉を静かに聞いていた美依は小さく俯き、そして首を縦に振った。
「解りました、わがまま言ってすみません」
「わがままじゃないんだがな。むしろ聞いてやれなくてすまない」
「いえ…信玄様の言う事は正しいです」
「なるべく見つからないように、夜が明けたらすぐに発つ。色々限界は来ていると思うが…甲斐に着くまで、もう少し頑張れるか?」
「……はい」
その後、美依と簡単な朝餉を済ませ、安土を発つ支度を整える。
美依は食事をしていても、身支度を整えていても、終始俯きがちだった。
……笑顔でいろ、と言うのが無理な話だ。
歪んでいたとは言え、自分を好くして愛してくれていた相手に別れも告げずに去るなんて。
美依の心境を思えば、若干苦しくなる。
だが、心を変える気はない。
俺はこの子を愛してしまったから。
これ以上傷つくのは見ていられないし、これからは笑って暮らせるようにしてやりたい。