第10章 黒と蜜、紅と熱 * 信長END
『今日はこれを奪う』
『……っ』
『髪が邪魔だな、俺に触れられたくなくば、自分で掻き上げろ』
囲碁に勝ったら、美依自身の一部を奪う。
予定通り、俺は美依を少しずつ侵略していった。
本当に少しずつ、でも確実に。
奪われるたびに、涙目になっても抵抗を見せない美依に……
案外嫌がってはおらんなと。
そうどこか安堵したのを覚えている。
『初心者はとにかく攻めるが吉だ、何でもいい』
『でも、闇雲に攻めたって……』
『全体を把握し、最良の攻め方をする…など、貴様に出来るのか。とりあえずは外堀から埋めていけ、中には置かない方が無難だな』
時に、打ち方を指南した事もあった。
別に俺の手の内を明かした所で、負けるはずもない。
美依は素直に聞き入れ、時に三成などと練習していたようだ。
俺は囲碁勝負を楽しんでいた。
子供のように心が踊った。
それは、美依が少しずつ自分のものになるという悦びからだったのか。
だが…美依と過ごす時間は、ひどく心が安らかになり、戸惑いを覚えたのも事実だった。
────思えば…この頃は
まだ気づいていなかったのだと思う。
俺は外側から徐々に攻めているようで…
美依に心を侵略されていた事実を。
「えっ…信長様?」
と、ある一手を打った時、美依がびっくりしたように声を上げた。
別に驚くような事もしてないだろうと言えば、美依は少し首を傾げる。
たが、その後も淡々と勝負は続き…
俺が碁石を打つ度に、美依は若干焦ったように俺の顔を伺った。
何も可笑しな事はしておらん。
俺は…はなから"うつけ者"だ。
『────信長様』
名前を呼ばれるだけで胸が詰まった。
酷く焦がれる心地を覚えた。
きっと誰かを愛した時点で、己の心はもう己自身のものでは無い。
その者に、芯から奪われてしまったのだ。
俺は奪っているようで、奪われていた。
儚く甘い声を上げる美依、その姿に魅了され、虜になった。
俺は、美依を捕らえた気でいたが…
実際は、囚われていたのは俺だ。
手に入れたようで、何一つ手に出来てない現実。
それがもどかしく、まるで玩具が手に入らない駄々っ子のようになっていたのかもしれない。