第10章 ことば
凛の足が一瞬だけ止まった。
だが立ち止まることなく歩き続けた。
「泳ぐ」
短くそっけなく答えた。
汐に誰から聞いたのかと尋ねたら、案の定以前凛にカップル疑惑をかけてきた二人組の片割れだった。
何故だか今日は無性に癇に障る。
「そっか。鮫柄なら仲間にも恵まれてると思うし、きっといいリレー泳げると思うよ」
〝仲間〟。その言葉が凛の心に重く響く。
浮かんだのは、鮫柄のリレーメンバーではなくて...。
「ねえ松岡くん。あなたは何を見ているの?」
ふいに口調が変わった。汐が歩みを止めた。
急に立ち止まった汐に凛は少し戸惑う。
そして初めて見る汐の表情に驚いた。
やや上目遣い気味の真っ直ぐな赤紫の瞳。眉は上がっていて、唇は引き結ばれていた。
「マネージャーの視点から言わせてもらうけどね、松岡くんは今、目の前のものを見ていないでしょ」
「県大会前の松岡くんは自分の目標にまっすぐだった。けど今はそうには見えないの。他の物を見てるでしょう?リレーは1人の不和がチーム全体に不協和音を生み出すことは理解してるよね」
呼吸一つ。そして息を吸い込み、凛を強く見据えた。
「それで、ちゃんとリレー泳ぐことできるの...?」
一瞬にして様々な感情が湧き上がってきた。
それらをうまくまとめて言葉にしなければならなかった。
「...ぅるせぇな。お前に何がわかるんだよ」
しかし一番最初に溢れ、こぼれた感情は怒りだった。
今まで自分を肯定してくれて、優しく強く叱咤激励してきてくれた汐。
自分のことを理解してくれていた存在だと凛は思っていた。
その汐が今、自分を非難しようとしているように思えた。
「何もわかってないくせに、わかったような口利くんじゃねぇよ!!」
なんとか言えよ、と言わんばかりに汐を見る。
しかし次の瞬間凛は我に返った。
しまったと思った。反論があるならもう少し別の言い方があったはずだ。
口から出たことばはもう取り消すことは出来ない。