第10章 ことば
それから数日が経った。
7月も下旬に差し掛かり、夜になってもまとわりつくような暑さの日々が続いた。
そのような暑い夜でも凛は日課であるランニングを疎かにしなかった。
暑い。
自分の横を吹き抜ける風は生ぬるい。
汗が頬を流れ落ちる感覚がさらに体感温度をあげているような気がする。
そのような中で走っている凛はふいに後ろから自分を呼ぶ声を聞いた。
「松岡くん!」
凛は足を止めた。そしてつけていたイヤフォンを外した。
声の主は凛が足を止めたことを認めると小走りで凛の元へやってきた。
「榊宮...」
イヤフォンをしていたのにも関わらず声を認識できるとは、どんだけ通る声してるんだよこいつ、と心の隅で思った。
「今夜もランニング?」
「ああ」
2人は並んで歩き出した。
「汗、すごいね」
凛は汐から一歩離れた。
ふとクラスメイトが、女子は汗くさい男を嫌がるという会話をしていたのを思い出したからだ。
自分からすこし離れた凛を不思議そうに見つめ、汐はどうしたの、と声をかけた。
「...汗くさいと嫌だろ」
「あっ、気にならないから全然大丈夫。でも松岡くんが気になるんだったら...」
そう言いながら汐は鞄の中をあさり出した。
なにを探してるのだろうと思いながら汐を見ていると、汐は鞄からふたつのボトルを取り出した。
「これ、使う?」
その手に握られていたのはデオドラントウォーターだった。
差し出された2本の制汗剤を手に取り、キャップをあけて匂いをかいだ。
「...女子臭がする...」
「だってあたしも一応女子だし」
ひとつはピンク色のボトルでローズのような甘い香りがするものだったため、もうひとつのピンクと青のバイカラーのボトルの比較的シトラス系の香りのする方を借り、手に出した。
「最近夜も暑いのに日課のランニングさぼらないってすごいね」
「日課は続けることに意味があるからな」
汐は一瞬きょとんとして、そして次に吹き出した。
「なんで笑うんだよ」
やや機嫌を損ねたのか凛は手に出した制汗剤を首筋や腕につけながら顔をそむけた。
その拗ねたようにも見える様子がまた面白く、汐はくすくす笑い出した。
辺りにはシトラスの爽やかな香りが広がる。
「松岡くんらしいなって思って。ほんとにストイックだね」
「別に...。自分に甘いようじゃ、上なんて目指せねぇよ」