第9章 縛る存在
凛は汐の家を後にして駅へ向かって歩いていた。
すっかり空はオレンジ色に染まっていた。
汐は今まで誰にも話さなかった過去を自分に話してくれた。
自分に話すことで少しでも汐の心の闇を晴らすことができだだろうか。
もしそうであれば今日自分が汐のもとへお見舞いに行ったことに意味が生まれるだろうと凛は考える。
それに不謹慎かもしれないが、汐が誰にも話さなかった過去を自分に話してくれたことが少し嬉しかった。
汐には話すべきなのかもしれないと凛は思った。
凛にもある、なるべく人に話したくない自分の過去の話。
今朝汐からきたメールにはまだ返信をしていない。
なんて返信をしようか、そんなことを考えていたとき。
(そういや、朝比奈の奴が言ってた〝めんどくさいの〟ってなんだったんだ)
汐に訊こうと思っていたのだがすっかり忘れていた。
ケータイの画面を眺めながら凛は歩いていた。
ふと、正面からの人の気配に顔をあげた。
ただの帰宅途中の男子学生だった。
しかし凛は驚いた。
背は凛ほど高くはない。
だが服の上からでもわかる、とても均整の取れた体つきだ。
さらさらと風に揺れる長めの髪は黄味を帯びた赤茶色。
彼は顔をあげた。
眉は凛々しく引き締まってるが、やや神経質そうな印象をうける。
結ばれた唇には少女のような愛らしさが残るが、口元にあるホクロがえもいわれぬ色香を漂わせていた。
全体的に少女のような、繊細な顔たちだった。
その瞳が凛を捕らえた。
夕陽を思わせる静かな茜色の瞳のアーモンドアイだった。
視線がぶつかった。
すれ違いざまに彼は声を発さずに、軽く頭を下げた。
思わず凛は立ち止まってしまった。そして彼の背を目で追った。
(多分、水泳やってる奴だな)
身体を見ればわかる。今すれ違った彼はほぼ間違いなく競泳をやっている。
しかもかなり実力のある選手だと凛は思った。
しかし凛にはそれ以上に驚いたことがある。
似ているのだ。
今すれ違った彼の顔をもう一度思い出そうとした時、凛のケータイが鳴った。
開くとメールだった。差出人は汐だった。
今日はお見舞い来てくれてありがとう。差し入れも嬉しかった。などの内容に可愛らしい絵文字が添えてあった。
思わず頬が緩む。
そして、メールの返事を打ち込みながら先ほどの彼の瞳の色のような夕焼け道を歩き出した。