第9章 縛る存在
汐は自分のことを弱いと言った。
そのとき凛は何も言わなかったが、心の中ではそれを真っ向から否定していた。
どんなに会いたいと思っても死んでしまった人にはもう会えない。
幼い頃に父親を亡くしている凛にはそのことが痛いほど良くわかった。
本当に強い人は優しい人だ。
親友を亡くした痛みを背負い、彼女の存在を片時も忘れることなく過ごしてきた。
汐は本当に海子のことが好きだったのだろう。
「でもお前、つらくねぇのかよ…」
笑顔の裏でどれだけ泣いてきたのだろうか。
そのことを考えると凛の瞳に影がさした。
何も知らずに汐には笑っていて欲しいと思っていた自分に苛立った。
自分の手にすっぽりと包まれてしまう手を離しがたいとさえ思ってしまった。
汐の手を握っている間は時間がゆったりと過ぎていくように感じた。
と、その時。ガチャリと玄関の開く音がした。
反射的に凛は握っていた手を離してしまった。
(そういえばあいつ言ってたな)
凛は璃保の言葉を思い出した。そのうち汐のお母さんが帰ってくる。
その言葉通り、玄関を開けたのは帰宅した汐の母だった。
汐の母は玄関に見慣れない革靴が置いてあることに気付き、階下から声をかけてきた。
「汐ー?誰か来てるのー?お見舞いー?」
このままでは様子を見に来た汐の母とはち合わせになる。
そうなると非常にまずいのは誰にでもわかるだろう。
汐は眠っている。凛は立ち上がり、部屋を出た。
階段を降りているところで凛は汐の母と対面した。
「あら、あなたは汐の彼氏さん?」
凛の存在を咎めることなく尋ねてきた。
凛は汐の母を見た。
顔立ちは汐と似ているが瞳の色が違った。
汐の母は夕焼けを宿したような赤みの強い橙の瞳だった。
「違います。…友人です」
「あら、お友達なの。名前は?」
「松岡凛です。…その、リビングにおいてあるコンビニの袋、差し入れなんで、…汐さんに渡しておいてください」
「わざわざ悪いわね、ありがとうね」
「いえ、お邪魔しました」
靴を履き家を後にする凛の背を汐の母は見つめていた。
「なんかすごく綺麗な男の子ねえ。それに…」
汐の母は意味深に微笑んだ。リビングに置いてあった袋の中身を思い起こす。
「優しい人ね、彼」
そうつぶやきながらゆっくりと階段を降りていった。