第9章 縛る存在
手を掴まれて自分が寝るまでここにいてと言われ瞬間、顔がとても熱くなったのがわかった。
眠りに入る汐の顔をまじまじと見つめるわけにもいかなかったので凛はベッドの傍に腰をおろし、汐には背を向けていた。
やがて静かな寝息が聞こえてきた。凛はそっと振り向いた。
(まつげなげぇ…)
伏せられた瞳を形作るのは長いまつげ。
起きている汐は俗に言う可愛い系だったが、眠る汐は綺麗という言葉の方が似合う気がした。
何気なく顔にかかった髪の毛をそっと払ってやってみた。
そうすると汐は小さく声を漏らし身じろいだ。
凛の喉が動いた。
ゆっくりと、凛は手を伸ばす。
心臓がどきどきと鳴っているのが聞こえる。
顔が熱い。
汐のその柔らかそうな唇に触れようとした。
しかしその瞬間、璃保のあの恐ろしくも美しい笑顔が浮かんだ。
〝汐に手出したら鮫柄までアンタのことしばきに行くから〟
凛は伸ばしかけた手を引っ込め、ぐっと握った。
(なんもしねぇよ…!)
璃保は冗談を言うようなタイプには見えない。
ここで汐の唇に触れていたら、璃保はきっと鮫柄まで凛のことをしばきにきただろう。
(てか俺何しようとしてんだよ…!)
握った拳をそっと開いた。
なぜだろう、触れたいと思ってしまった。
その髪に、その顔に、その唇に、触れてみたい。そんな衝動に駆られてしまった。
けれど凛は汐の彼氏ではない。
気安く髪や顔に触れるのは許されない。唇などもってのほかだろう。
最近この曖昧な関係がますますもどかしい。
けれど自分は汐のことをどう思っているのかがよく分からない。
汐が自分のことをどう思っているのかもよく分からない。
曖昧でふわふわしていて生ぬるい関係。
いうならば、友達以上恋人未満。
(手ぐらいなら、いいだろ)
凛は汐の右手をそっと握ってみた。
凛の、筋張って逞しい男の手とは対照的に小さくてしなやかな女の手。
(背も低ければ手もちっせぇのな…)
凛が握った汐の手。溺れた汐を助けたときに握ってやることのできなかった手。
先ほどの汐の話を思い起こした。
こんなに小さい手をしてる人が、その手から溢れるほどの悲しみを一人で背負っている。
凛は握る手にほんの少しだけ力をこめた。