第9章 縛る存在
「どこから話そうか」
汐は目を伏せた。そして閉ざしていた過去に光を当てた。
目を閉じれば今でも瞼の裏に浮かぶ、楽しかった記憶。幸せだった記憶。
そこには3人の少女がいた。
「...前もちょっと話したと思うんだけど、あたし昔は泳げたの。...けど、今は泳げないんだ」
控えめに開かれた目は光が少ない。
凛の記憶では、汐が過去の話をするときはいつもこの瞳をしていた。
呼び起こされた過去の記憶。
思い出さないようにしていた。けれど決して忘れまいとしていた。
嬉しいとき、悲しいとき、楽しいとき、いつでも3人でいた。
しかし、突然それは2人になった。
「...あたし、プールの...水の事故で親友を目の前で亡くしたの。」
凛は目を見張った。
雷にでも打たれたような衝撃が駆け巡った。
声も出ない凛をよそに汐は続けた。
「松岡くんは覚えてないかもしれないけど、前あたし璃保のことを今のスピラノの中では一番古い友達って言ったでしょ?」
「そういえば言ってたな」
そういえば、と言ったが凛はあのときのことを覚えていた。いや、正しくいえばあのときの星空を眺める汐の不思議な美しさを覚えていた。
「ほんとはね、璃保以上に付き合いの長かった子がいたの。その子が亡くなったあたしの親友」
久しぶりに思い出した。汐の記憶の中の彼女が微笑んだ気がした。
少し胸がいたんだ。
「その子ね、幼稚園に入る前から仲良くて、小学校も中学校も一緒で、泳ぎがとても上手くて頭もよかったの」
「すげぇな」
泳ぎが上手くて頭がいいのは松岡くんもそうだけどね、と汐は笑った。
そして、その笑顔を少し陰らせてこう言った。
「…ねえ、あたしがなんで〝みーこ〟って呼ばれてるか知りたい?」
それは凛が今まで黙ってきた汐に対する疑問の1つだった。
なぜ本名にかすりもしないあだ名がついているのか。
「それの6年3組のページ、開いてみて」
凛は手に持っていた汐の小学校時代の卒業アルバムに目を落とす。
箔押しされた高級感漂う深緑の表紙に学校名が書いてあった。
それは帰国子女の凛でも名前くらいなら聞いたことあるような有名私立大学の附属小学校だった。
改めて汐の育ちの良さを実感する。
凛は汐に言われた通り6年3組のページを開いた。
全員で30人くらいだろうか。個人写真だった。