第8章 Water
しばらくの間はお互い無言だった。
長い静寂の後、それを破ったのは汐だった。
「松岡くん、今日は迷惑かけてごめんね。でも、助けてくれてありがとう」
絞り出されたような声音だった。
心なしか声が震えているような気がした。
「ああ」
凛は汐がプールに落ちた時のことを思い起こした。
ひっかかることがあった。
鮫柄の部員はまだしも、スピラノの部員が誰も汐のことを助けに向かわなかったことだ。
しかし、その時周りにいたスピラノの部員は我関せずといった様子ではなかった。
心配そうな様子はしていた。けれど誰も助けなかったのだ。
その凛の心中を見通したのか、汐は控えめに語り始めた。
「実は、うちの人たちね、先輩マネージャーと璃保以外、あたしが泳げないこと知らないんだ」
「内緒にしてたの。...あんまり知られたくなかったから。...けど、松岡くんには話せちゃった」
なんでだろうね、と汐はくすくす笑った。
凛はなにも言わなかった。
(どうしてそんな悲しそうな顔で笑うんだよ)
2人の間にまた静寂が訪れた。
「あたしね、プールが......水が怖いの」
凛は上から汐をみた。
薄く笑ってはいたが、今にも泣き出しそうな笑顔だった。
汐は思い出さないようにしていた昔に思いを馳せた。
馬鹿馬鹿しいかもしれないが、水の中にはなにか得体のしれない魔物が住んでるような気がしてならない。
「水泳部のマネージャーなのに水が怖いなんて、おかしいよね」
「…」
「なんだろう、あたし、水の中には目に見えない魔物がいる気がして…」
「…」
「それで、水に入ると、その魔物に足をとられて水の中に引きずり込まれる気がして…」
「…」
「小学生の頃はこんなこと思わなかったんだけど、4年前に…」
「もういい」
しばらく黙っていた凛が静かに口を開いた。
「もういい」