第8章 Water
その日の練習は順調に進んでいった。
追い込みを兼ねた練習で相当きつかったのか、練習が終わるころには選手たちはみな疲労困憊だった。
お疲れ様ですと声をかけ、選手にドリンクを渡した後片づけを始める。
マネージャーはタオルを渡したりドリンクを作ったりと走り回っていた。
今日は鮫柄の部員はみな選手側に回っていたため、サポートの仕事はすべて汐を含め3人のスピラノのマネージャーがこなしていた。
(さすがに疲れたな...)
ビート板を何枚も重ねて持ってプールサイドを歩いていた。
背の低い汐がビート板を何枚も重ねて持つと足元がよく見えなくなる。
だが汐にとってはそれが普通だし、既に障害物となるものはすべて片づけた。
あとはビート板だけだった。
そのような状態で25m地点まで来たとき。
「あ!マネージャーさん危ない!!」
どこかで叫び声が聞こえた。
あたし?と思った。なにが危ないの?と思った。次の一歩を踏み出した。
床ではないなにかを踏んだ。それはドリンクボトルだった。
なぜこんなところにドリンクボトルが落ちているのだろう。平衡感覚を失う。
まずい、と思ったが遅かった。
身体は、水の中にあった。
目の前が真っ暗になった。息ができない。
身体にまとわりつく水が、自由を奪う。身体が動かない。
もがくことなく水に沈んでいく。足がつかない。
沈んでいく汐の脳裏に閉ざしていた過去の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
4年前。
身を切るような冷たさの水。
抗えば抗うほど自由を奪われ沈んでいく身体。
そして、自分の手をつかみ肩を引きよせる人。
だんだん近づいてくる水面。
やっと吸うことのできた酸素。
そして、その後は―...
汐の唇から泡が漏れた。目を開く。
プールの水に、汐の目からこぼれた涙が溶ける。
途方もない闇の中にいる気分だった。
苦しい、助けて。さらに汐の唇から泡が漏れる。
と、そのとき遥か遠くに感じる水面から誰かが自分のもとへやってきた。
汐は怖くなった。
ここまで、4年前と同じだからだ。
ぼやける視界に認識できたのは赤い髪。
その人は汐の手をつかみ肩を引き寄せた。
次の瞬間。ぐん、と水面へ近づいた。
だんだん光が近づいてきている。
けれど恐怖ばかりが募っていく。
汐の唇がなにか言葉を紡いだ。
〝あなたは、だめ〟それは泡となって水へ溶けていった。