第5章 午後8時
地面を蹴る音と自分の呼吸の規則正しい音が聴こえる。
もう夜が冷えることもなくなったな、と凛は横切っていく風で感じた。
あの日...汐とぶつかり怪我をさせた日以来凛は角を曲がるときに少し注意するようになった。
けれども、ここは閑静な住宅街だ。この時間になってしまえばほとんど人が通らない。
本音を言えば、いちいち曲がり角を曲がるときに注意をするのはめんどくさく感じる。
少し先に曲がり角が見える。
いつもならここで少し減速する。
しかし凛の中でめんどくせぇという気持ちが勝った。
減速せずに角を曲がった。
すると曲がった先に人影。ぶつかりそうになった。
「おわっ!?」
「きゃああ!?」
その人物は驚いたらしく悲鳴を上げた。そしてすこし後ずさり。
手に持っていた鞄を盾にしていた。
(きゃああ?)
凛は訝しげな表情でその人物を見下ろした。その人物は恐る恐る鞄を下ろした。下ろされていく鞄から樺色の髪と赤紫の瞳がのぞく。
「って、松岡くん!?」
「榊宮じゃねえか」
5月半ばになる。汐は黒いシャツに白地に金ボタンのベスト、同じ生地に群青色のラインの入ったスカートを身にまとい、襟元は赤いタイで締めている。合服だろう。
膝にはガーゼではなく小さな絆創膏が貼られていた。凛は少しほっとした。
ぶつかりそうになったのが凛だとわかって安心したのか、汐の怯えた表情が少しずつほぐれていった。
「ごめんね、悲鳴なんてあげちゃって。...実は最近この辺で不審者がでたみたいで、あたしびっくりしちゃった」
「知ってる。」
知ってる、と答えたところで凛は気づいた。
(これって...)
まぎれもない事実。
(俺、確実に不審者に間違えられたよな...)
今朝担任が言っていた通りのことになった。
失礼な女だな、と文句を言いたくなったが次の汐の表情と言葉でそんな気持ちもどこかへ行ってしまった。
「ごめんね、さすがに、そんなこと言われた後ここの夜道通るのはさすがに怖くて...」
普段とはまた違ったとても女の子らしい表情で、凛の鼓動が少しだけ跳ねたのを感じた。
(こいつも一応女なんだよな)
汐を見る。少し困ったような顔で俯いている。
なんだかとても可愛かった。いや、誰が見ても可愛いといえる顔だった。腹は決まった。
「...駅まで送ってってやる」