第5章 午後8時
(綺麗な目...)
薄暗い、月明かりと街灯しか頼りのない中では凛の瞳は灰色がかった深い赤だった。
まるで射抜かれたようになにも言えなくなってしまった。
「その、〝松岡さん〟ていうの、やめろ」
「え?」
我に返った。思わず間抜けな声をだしてしまった。
「それに敬語もいらねぇからな。俺たちは同い年だ」
「じゃあ...」
なんて呼べばいいのだろうか。
(凛さん...凛くん...はちょっと馴れ馴れしすぎるかな)
凛も汐のことは榊宮、と呼んでいる。
「松岡...くん?」
仏頂面のまま凛はうなづいた。
「もしかして、さっきまで怒ってたのは、敬語でさん付けだったから...?」
凛は一瞬意表を突かれたような表情を浮かべた後すぐに仏頂面にもどり、ぷいと顔をそむけた。
「別に。そんなんじゃねぇよ」
怒ってねぇし。ちょっと気に入らなかっただけだ、と凛は心の中で付け足した。
その様子が可笑しくてつい汐はくすくす笑ってしまった。
なに笑ってんだよ、と凛は相変わらず仏頂面だったが同じ仏頂面でもさきほどのよりかはいくらか不機嫌っぽさが緩和されていた。
もう、電車の時間はどうでもよかった。
「おはよ汐...って、あんたそのひざどうしたの?」
璃保が軽く驚いた表情を浮かべ、汐の膝にあてられたガーゼを見た。
「えっと、ちょっと転んじゃって」
汐は昨日の出来事を思い出す。自然と笑顔がこぼれた。
「転んだって...気をつけなさいよ汐。...って、なににやにやしてんの?なんかイイコトでもあったわけ?」
「にやにやなんてしてないよ!」
璃保が半ば呆れ顔で訊いてきた。
汐がこぼした笑顔は璃保からするとにやけ顔に見えたようだ。
(イイコト、か)
あの仏頂面と深い赤の瞳を思い出した。
(松岡くん、ちょっと怖いけど優しい人だったな...)
汐は教室の壁掛け時計を見た。午前8時をさしていた。
昨夜の出来事から12時間がたった。
(また話してみたいな)
あの仏頂面の彼は他にどんな表情をするんだろう、と汐は気になった。
今後も鮫柄とスピラノの合同練習は定期的に予定される。
今までは楽しみでもなんでもなかったが、凛と話す機会があるかもと思うと少し楽しみに思えた。