第1章 追憶
あとから聞いた話によると、なんと兵長は、背後から近づいてくる怪しげな気配には気が付いていたというのだ。
ならばなぜ早く振り返ってくれなかったのですか、お人が悪い!と声を荒げて憤ると、怒りてえのはこっちだ馬鹿、と一蹴された。
もっともである。
兎にも角にも、私は押した。
人類最強と謳われる調査兵団の生ける伝説、リヴァイ兵士長の背中を、噴水へ向かって押した。
それはもう、懸命に押した。
リヴァイ兵長はあまりの不意打ちに無防備だったのか、押された衝撃で前へとつんのめり、ほどなくして、豪快に音をたてて噴水へとお倒れになった。
今でもよく覚えている。
穏やかな時間の流れていた調査兵団兵舎の広場が、まるで時が止まったかのように静まり返り───そこにいる誰しもが私を見、そのあと噴水のなかのリヴァイ兵長を見、また、私を見た。
人生であんなにも人からの視線を浴びたのは、後にも先にも、あの時だけだったかもしれない。
噴水の中から身を起こした兵長と目が合い、半ば錯乱状態に陥っていた私は、何を思ったか、『わあ……なるほど、こういうことがあるんだなぁ……』と小さく呟いた。
言わずもがな、このセリフは調査兵団で代々語り継がれるお笑い種となる。
目つきの悪さに定評のあるリヴァイ兵長であるが、この時ばかりは驚きのあまり目を丸くしていた。
無理もない。
何の心当たりもない、今この瞬間初めて顔を合わせた新兵に突然、噴水へと突き落とされたのである。
リヴァイにあんな顔をさせたのは、奴が入団して以降、お前くらいだろうとエルヴィン団長に笑いまじりに言われたこともある。
どんな不名誉なのだろう。
リヴァイ兵長は、けしてお咎めになるような険しい声音ではなく、非常に純粋な口調で一言、「なんだ、お前は?」と訊いた。
なんだ、お前は。
一体、なんと答えるのが適切なのかよくわからないまま、敬礼をして私は所属と名前を名乗った。
「第二分隊、ザラ・ラドフォード……」
兵長は呟くように私の言葉を復唱され、なるほど、覚えておこう、とおっしゃった。
言うまでもないが、この時錯乱状態にあったのは私だけではない。
リヴァイ兵長も見事に戸惑いながら、そうおっしゃったらしいのだ。
兵長は噴水から立ち上がり、濡れそぼった自身の体を一瞥し、最後にもう一度、私を見つめた。
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