第8章 命の記憶
「諜報員は5年前に壁を壊すと同時に壁内に発生したと想定されているから、団長は容疑者をそこで線引きしたんだよ」
「…5年前、本当に諜報員が…」
信じられないといった口ぶりでエレンが言う。
ザラも同感だった。
突如としてウォール・マリアが破壊され、人類が悪夢を見たあの時、あの動乱に紛れて巨人化する人間が壁内へと侵入し、そして───
『…はは。私たち、それに気付かずずっと共に過ごしていたの』
ザラの口から乾いた笑いが漏れ、思わず一同はザラの顔を凝視した。
こんな風に疲れたように笑うザラは珍しかった。
…もっとも、今は壁外で、すぐそばに女型の巨人がおり、少しも気の抜けない戦局である。
調子のいいことばかり言い飄々としているザラは彼女の一面に過ぎず、今ここに静かな眼をして立っている彼女もまた、紛れもない彼女の人格のうちの一つなのだろう。
「ソニーとビーンを殺した奴とも同一犯なのか?」
「あ…私あの時、団長にそれを質問されたんだった」
君には何が見える、とエルヴィンは訊いた。
いつしかのエルヴィンの言葉を口の中で反芻し、ザラは、そういうことだったのかとようやくエルヴィンの言っていた意味が腑に落ちた。
「あの質問に答えられていたら本作戦に参加できてたのかもしれないな…そんな者がいたとは思えんが。ザラ、お前もわからなかったのか」
『えっ、どうして』
「…ほら、ザラって変に鋭いところがあるじゃない。私、ザラはきっと明確に答えたものだとばかり思ってたわよ」
ザラに向かって微笑みかけるエルドに次いで、ペトラも同じようにザラを買う。
『まさか。何もわからなかったよ。だってこんな…こんな、普通、思わないじゃないの。まさか身内のなかに敵が紛れ込んでて、……私たち、ずっとそいつらの手の内で遊ばれてたなんて』
人の皮を被った巨人か、巨人の皮を被った人か。
どちらが彼らの本性であるのかは定かではなかったが、きっとその諜報員達は我々のすぐそばにおり、我々の動向を逐一把握していたのであろう。
ザラにとって、真に信じられるのは調査兵団ただそれだけであった。
不動の礎であったはずのものが根底から覆され、裏切られたような気持ちだった。