第7章 歴史の動く時
ザラはその時、何度もペトラに名前を呼ばれていることにすぐには気付けなかった。
不審に思ったペトラに肩を掴まれてようやく呼ばれていたことに気付き、ゆっくりと視線を彷徨わせ、ペトラの姿を捉えた。
心配そうな目に大丈夫かと問われ、曖昧に笑みを返す。
その日は新たに新兵を加えた、最初の壁外調査への出立の日であった。
カラネス区の門前へと向かうため、調査兵団一行は馬を引き連れて歩いている。
「ザラ、こっちへおいで」
ペトラは片腕でザラを引き寄せ、自身の肩口にその顔を埋めさせた。
ゆっくりとザラの頭を撫でながら、慈愛に満ちた声で言った。
「さあ、ザラ……目を閉じて。深く息を吐いて。あなたは大丈夫。これから空を飛ぶの。あなたなら大丈夫。ザラなら、大丈夫」
ペトラの低い声が、ザラの胸へと落ちていく。
こんなことでは、とザラは思った。
こんな私情を抱えたまま壁外に戦いになど行けはしない。
薄く目を開けて前方を見る。
少し前を、馬を引き連れてリヴァイが歩いているのが見える。
あの日から二人はほとんど言葉を交わさずに過ごした。
かっとなって手荒な真似をしたことをリヴァイは悔いているようだった。
ザラが側にいると気まずげにその場を立ち去ったが、頭を冷やさねばならないのは私も同じだとザラは思ったのだった。
あの時リヴァイに言われた言葉が、鋭い刃となってザラの胸に突き刺さったまま残っていた。
お前は捨てられるのかとリヴァイは言った。
どうして捨てられよう、あの約束がなければ生きていけないと思う夜もあれば、やはり駄目だ、離れなければ私はどんどん醜く腐ってしまうと考え改める夜もあった。
どちらを選べばいいのかザラにはわからず、またこれだ、と思った。
私だけが決められない。
悔いなき方を、選べない。
今日、他の兵士よりも早くザラが外へ出ていたところへたまたまリヴァイが居合わせた。
ザラは敬礼をして、リヴァイは小さく頷いた。
そのまま立ち去るかと思われたリヴァイだったが、数歩歩いたところでふと立ち止まり、ザラの方を振り返った。
久方ぶりに両者の目が確かに合い、ザラは思わず固唾を吞んだ。
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