第9章 帰還1
天主に足を踏み入れた信長は、遠くに聞こえる足音に溜め息を吐いていた。
そして、後ろを歩く人物に声をかけた。
「あつ姫は、俺の寝所に連れて行く。貴様は、あつ姫の着替えと身体を清める準備をせよ。それと、朝まで天主には誰も入れるな」
「……承知……あの、光秀様も出入り禁止ですか?」
訝しげな表情で問うたのは如月だった。
彼女は、いち早くあつ姫の帰城を知り、駆け付けたのだ。
だが、信長が光秀を遠ざける意味が分からなかった。
ゆえに、つい言葉にしてしまったのだが、無言の信長に、それ以上は何も言えず、命を遂行すべく、その場を離れたのだった。
そして、護衛に信長の命を伝えると、近付いて来る人物の前に立ち塞がった。
が、しかし、その人物の異変に気付き、無礼を承知で忍刀を抜いた。
「……! 如月……何のつもりだ?」
足早に歩いていたところを突然止められ、驚いたのは、光秀だった。
対する如月は冷静に彼を見ていた。
「申し訳ありません。信長様の命で、朝まで、天主への出入りは禁じられております」
「だからと言って、刀を抜く必要があるのか?」
柄に手を掛け、顔を歪ませる光秀に如月は、小さく溜め息を吐いた。
だが、忍刀を収める事はしなかった。
「光秀様……信長様が、貴方様をも出入り禁止にした理由が分かりました。……光秀様、誰を斬ったのですか? 下女……ですか?」
「……お前に関係ない、と言いたいところだが、答えなければ、お前の気が済まないだろう。……確かに下女を斬った。だが、殺してはいない。腕を軽く斬っただけだ」
「腕を……? ですが、下女を斬った事に変わりはありません。あれ程、あつ姫様が悲しむ事をなさらぬようにと、申し上げたのに……」
「くっ……それは……」
光秀は、あつ姫を下女扱いした最初の女を探し当て、家に押し入っていたのだ。
その際、尋問まがいに刀で女を脅かしたのだが、怒りと焦りが相まり、女の腕が使い物にならない程、斬りつけた。
下女が、二度と働けないくらいの傷を負わせたのだ。
歯止めがきかなくなったとはいえ、ただの下女を傷付けたのは事実。
光秀は、金を渡し、固く口止めをした。
されど、その事実を知る者は、自分とその下女のみ。
だが、それを如月にすら簡単に見抜かれた事に、光秀は項垂れ、何も言わずに踵を返したのだった。