第8章 それぞれの苦悩3
男は、泣いているあつ姫に手を伸ばしかけたが、グッと手を握り締め、その手を引いた。
「あつ姫、泣くな。お前が泣くと、皆が怯える。それに、俺も困るんだ」
「姫が泣く……? そうか、これが泣くという事か……」
「そうだ。嬉しい時や悲しい時に涙が出る。……お前は小さい頃、感情の一部を捨ててしまった。だが、時を超えた事で感情が戻ってきた」
そう男が説明するが、ちらっと見えた口元は、少し震えているようだった。
が、その口には、見覚えがあった。
「……っ、思い出した……貴様のせいで、感情を捨てたんだ……」
「俺のせいか……確かにそうだ。……それを思い出したんだな。では、俺の事は分かるか?」
「……貴様が……誰なのかは分からない」
「そう……か……あつ姫、焦る事はない。それから、お前は、お前の今居るべき場所に帰れ」
「姫の居場所なんてないっ!」
咄嗟に立ち上がった私は、手に太刀を握っていた。
しかし、それを不思議に思う事なく、その切っ先を男に向けた。
けれど、男は、それを気にもしていなかった。
「俺に刃を向けるのは、いつもの事だが、身体が覚えているんだな。あつ姫、一つだけ教えてやる。織田信長の娘は、前世も来世も、あつ姫という娘だけだ」
「……⁉︎ 姫と同じ、名前……?」
「違う。そうではない。織田信長の娘は、お前だけという事だ。信長は、前世で娘が居たという記憶だけしかなかった。それは、この時代でお前に出会っていなかったからだ。意味が分かるか?」
その問いに、私は持っていた太刀を消し去ると、溜め息を吐いた。
「……私が、時を超えたから……パパも後を追って来た。……そして、私を織田信長の娘として、皆に知らしめた。……私は、既に歴史に干渉してしまった」
「あつ姫、俺の言葉を履き違えるな。『織田信長の娘は、前世も来世も、あつ姫という娘だけ』だと言っただろう。この時代でも、お前は、織田信長の実の娘だ。だから、城へ帰れ」
「……五月蝿いっ! 貴様の言う事など聞くかっ! 私は……私は……」
言葉の先が見つからない私は、自分の両手を見つめた。