第8章 それぞれの苦悩3
あつ姫を連れ帰った老夫婦の家では、何やら小声で揉めていた。
「おじいさん、本当に連れて来て良かったんですか? 素性も分からないし、この子の事を報告しないと」
「仕方ないじゃろう。店に寝かせておく訳にはいかんし。それに、山の上に父親がおると言っていたからな。山の上と言えば、安土城しかあるまい。家臣の娘で間違いない。それなら、報告は明日で良いじゃろう」
「まあ、そんな良い着物じゃないから、下級の家臣の方ですかねぇ。顔も泥だらけだし、細かい話は、明日の朝聞けば良いですね」
無防備にスヤスヤ眠るあつ姫に、老夫婦は溜め息を吐き、とりあえず、その夜は休む事にした。
ところが、その数時間後、激しく戸を叩く音に老夫婦は飛び起きた。
「こんな夜更けに誰でしょう」
「お前は隠れていろ。わしが話す」
警戒しつつ、戸に手をかけた老人は、声色を変えた。
「どなたですかねぇ、こんな夜更けに。うちに金目のものはありませんよ」
寝ぼけたような話し方をする老人だが、その目つきは、鋭くなっていた。
そして、戸を押さえる手に力を込め、もう片方の手には、太刀を握っていた。
「ククッ、爺さんになっても殺気だけは若い者にも負けないな。とりあえず、その手に持つ太刀を離せ。爺さんでは、俺に勝てないぞ」
「……っ、な、何のことだか……」
「爺さん、別に爺さん達の命を取りに来た訳じゃない。あの食事処が忍び達の隠れ家だって事も知っている。そして、あの場所が敵を油断させる為だって事もな」
「あ、あんた一体……」
老人が狼狽え、一瞬手を緩めた隙に、バァーンッと勢いよく戸が開いた。
そこには、仁王立ちする大男。
忍び装束を着てはいるが、見た事もない忍び。
老人は、更に警戒するが、大男は徐に頭巾を外した。
「爺さん、俺の顔は、俺の主君しか知らない。だが、忍びを長く束ねて来たあんたなら、俺の噂は聞いた事があるだろう」
「……‼︎ 燃える様な赤い髪に濃灰色の瞳……ま、まさか……風魔……小太郎……」
「ククッ、風魔小太郎か……」
「いや、見間違えか……あんたは、灰色の瞳。その体格と異様な気……忍び達が噂をしていた、信長様の忍びか……?」
そう問われたのは、大吾だった。
彼は、無造作に髪をかきあげると、頭巾で顔を隠した。