第111章 幕間その陸:故郷へ(前編)
汐の記憶では、あの時堕姫と妓夫太郎が暴れに暴れ、町には甚大な被害が出たはずだった。
炭治郎が負傷したあの時にも、倒れ伏している人間を何人か見た気がした。
しかし、甘露寺は首を大きく横に振ると言った。
「それがね、あれだけ大きな被害が出たにもかかわらず、亡くなった人は一人もいなかったらしいの。かなりの重傷者もいたけれど、今現在も誰かが亡くなったという話は聞かないわ。この知らせを聞いた宇髄さんも、相当びっくりしてたらしいわよ」
そう言う甘露寺の言葉に、汐はあの時の事を思い出していた。
堕姫が大きく帯を振る寸前、汐が叫んだ時に、僅かだが帯の動きが鈍くなっていた。おそらく、その時に帯の軌道が僅かに逸れたのだろう。
ただ、それでも完全に防ぐことはできず、周りの人間や炭治郎にも、深手を負わせてしまった事は事実だ。
汐はぎゅっと唇をかみしめて俯き、甘露寺は慰めるつもりが、逆に嫌なことを思い出させてしまった事を察し、顔を歪ませた。
その時だった。
「失礼いたします」
襖の外から声が漏れ、その後にそっと襖が開いた。そこには、先ほどの男とは別の、男の妻らしき女がいた。
「お茶をお持ちいたしました。よろしければどうぞ」
「あ、ありがとうございます。しおちゃん、今は気持ちを切り替えて、お茶を頂きましょう」
甘露寺は明るい声でそう言うと、女から茶と茶菓子のせんべいを受け取った。
すると、女の目が汐の真っ青な髪を捕らえ、驚いたように息をのんだ。
「まあ、綺麗な青色の髪ですね。まるで、ワダツミヒメ様みたい」
「えっ!?」
女の言葉を聞いて、汐は目を剥いて顔を向けた。
「ワダツミヒメの話、知ってるの!?」
「はい。このあたりでは、割と有名なお話ですから」
女はにっこりと笑って、壁に掛けられた掛け軸を指さした。
そこには、海の中から太陽を見つめる、一輪の花を持った女性の姿が描かれていた。