第109章 幕間その陸:煉獄邸再び
「それから、杏寿郎はよく君の事を話していた。私は殆ど聞き流してしまっていたが、千寿郎はよく覚えていた。素晴らしい歌声を持つ、青い髪の少女。あの子がああも、誰かの事を頻繁に話すことは、今まであまりなかった」
「そ、そうだったの。前に千寿郎からも聞いていたけれど、やっぱり少し照れるわね」
汐はむずがゆさを感じたのか、目を伏せながらそう言った。
そんな汐を見て、槇寿郎は意を決したように口を開いた。
「大海原君。無礼を承知で、君に頼みがあるんだ」
「あたしに、頼み?」
汐は突然の申し出に面食らうが、槇寿郎の真剣そのものの目に思わず息をのんだ。
「君の歌を、聴かせてほしい。君が杏寿郎の為に歌ってくれた歌を、私達にも歌って欲しいんだ」
「えっ・・・?」
その頼みごとに、汐は大きく目を見開いた。まさかここで歌をせがまれるとは、思ってもみなかった。
しかし、槇寿郎の"目"には、一切のからかいの意思などなく、真っ直ぐに汐を射抜いていた。
その時、お茶を乗せた盆を抱えた千寿郎が、そっと部屋に入ってきたが、ただならぬ雰囲気に、その顔は強張った。
「ち、父上?いったいどうしたのですか?」
微かに震える声に、汐は慌てて弁解すると、深くうなずいた。
「わかった。その申し出、喜んで受け入れるわ。中庭を少し貸してくれる?」
汐がそう言うと、槇寿郎は黙ってうなずき、汐はそっと立ち上がるとそのまま中庭へと足を進めた。
困惑する表情の千寿郎と、真剣な表情の槇寿郎。その二人の顔を交互に見た後、汐はそっと目を閉じて空を仰ぐようにして口を開いた。