第92章 バケモノ<壱>
堕姫は直ぐに帯を振るい、汐を後方へ吹き飛ばした。
(何よ、今の眼。人間の眼じゃない。初めて、初めて感じた、殺されるって思った・・・!)
汐は瓦に思い切り叩きつけられ、その衝撃が骨をきしませ筋肉に悲鳴を上げさせるはずだった。だが、汐の身体は痛みを感じずただの衝撃としか認識しなかった。
(あれ?おかしいな。これだけ叩きつけられたっていうのに、全然痛くない。ああそうか。そうだったんだ)
舞い散る瓦をぼんやりと眺めながら、汐は振り下ろされる帯を横に動いて回避すると再び立ち上がった。
(今まで私が鬼を殺しきれなかったのは、痛みを感じるからだったんだ。痛みは刀を振るう手を鈍らせ、動けなくするから。だったらその痛みを感じなくしてしまえば、消してしまえば、まだまだ鬼を殺せるじゃないか!!)
「く・・・くくくくくくくくくくくく・・・・!!!」
汐の口から笑い声が漏れ、口を耳まで裂けるかと思うくらいに歪ませると、目の前に立つ鬼を見据えた。その両目と口からはとめどなく血があふれ出し、顔中を彩っていく。
そこには人間としての【大海原汐】の姿はなく、そこにいるのは鬼を殺すことだけに存在全てを変貌させた、【何か】だった。
それを目の当たりにした堕姫の手先が細かく震え、心なしか息をも荒くなってくる。自分が怯えている?柱でもない人間に、上弦の鬼である自分が?
いや、目の前にいるのは人間ではない。人間のような姿をした、バケモノだ。
「アンタ、いったい何者なの!?本当に人間なの!?」
堕姫が思わず叫ぶように問い詰めると、汐の姿が突如消え気が付けば堕姫に一直線に向かってきていた。
「馬鹿の一つ覚えね!!今度こそ切り刻んであげるわ!!」
先程よりも帯が増え、汐全体を包み込むように広がってきた。しかし汐はその帯の速度が心なしかものすごく遅く見えた。
(随分と遅いな。欠伸が出る程だ)
汐は襲い来る帯を次々に弾き飛ばすと、一転に受け流すようにして帯を束ねた。そして鉢巻きを外すと束ねられた帯に突き刺した。