第92章 バケモノ<壱>
『堕姫。お前にある二人の始末を頼みたい。一人は青い髪をした鬼狩りの娘。ワダツミの子と呼ばれるその娘の声は決して聞くな。そしてもう一人は――』
「アンタが、アンタがそうだったのね!あの方が言っていた、殺すべき二人のうちの一人!」
堕姫の表情がみるみる変わり、その眼には先程までとは比べ物にならない程の殺意があふれ出していた。しかし汐はその眼に一切怯むことなく言葉を紡いだ。
「お前に聞きたいことがある。今まで何人の人間を喰ってきた?いくつの命をその薄汚い足で踏みにじってきた?何が楽しくてそうする?」
汐の抑揚のない声は堕姫の耳を通り抜け、彼女の記憶を掘り起こす。見知らぬ誰かにそれと似たような事を言われたような気がした。
だが、その奇妙な既視感は直ぐに消え、堕姫は嘲るような口調で言葉を投げつけた。
「はあ?何を言い出すかと思えば。いちいち覚えてないわよそんなこと。大体アンタこそ、今まで着殺した着物の枚数を覚えているの?覚えているわけないでしょ?それに、鬼にそんなこと言われたって関係ないわよ。鬼は老いない!食うために金も必要ない!病気にならない、死なない!何も失わない!そして美しく強い鬼は、何をしてもいいのよ」
堕姫の言葉を汐は黙って聞いていたが、光の無い眼を彼女に向けながらぽつりとつぶやいた。
「可哀想な奴だな」
「・・・は?」
汐の思わぬ言葉に、堕姫は再び顔を引き攣らせながら声を漏らした。
「誰かを傷つけ、奪うことしか知らない。徒に人を傷つけることでしか自分を誇示できない上に、失う恐怖にいつまでも怯え続ける。救いようのない哀れでちっぽけな存在だ」
汐の静かな声が堕姫の鼓膜を震わせた瞬間。今度ははっきりと彼女の脳裏に誰かの姿が映った。
『あなたは、可哀想な方ですね。誰かを傷つけることでしか自分を示せず、失くすことをずっと怖がり続けながら生きている。小さくて悲しい存在なのですね』
脳裏に浮かんだのは、目の前の少女と同じ色の長い髪を靡かせた見知らぬ女。堕姫にこのような者の記憶はない。それは彼女の中に潜む鬼舞辻無惨の細胞の記憶の一部だった。