第73章 狂気の目覚め<肆>
まるで蛇に睨まれた蛙のように、汐はその場から一歩たりとも動くことができなかった。体中を突き刺すような殺気が、汐の士気と殺意を奪っていく。
そんな汐に、鬼は暗がりの中からじっと彼女の姿を頭からつま先まで余すことなく見据えた。
「よもや・・・関わるどころか・・・鬼狩りそのものになって・・・いたのか・・・愚かな」
淡々と紡がれる言葉の意味は汐には全く分からないが、少なくとも今の自分には目の前の鬼に対抗できる力はない。だが、逃げようにも体は全く動かず、声さえも出ない。
(まずい、まずい!こいつは駄目な奴だ。関わっちゃいけない奴だ!逃げないと、早く逃げないと・・・!)
汐が無意識に口を開いたその瞬間。目の前が真っ赤に染まり、前を向いていた筈の視線がぐらりと傾く。
(・・・・え?)
汐の目と耳と身体が認識したのは、天井に飛び散った真紅の雫と、からりと落ちる金属の音。そして、ジワリと広がっていく熱い感覚。
(なに・・・?何をされたの・・・?)
そのまま汐の体が重力に従い、崩れ落ちていく。そんな様子を、鬼は少しばかり目を見開いたまま見据えていた。
「ワダツミの子。力なく・・・弱く・・・哀れな娘よ・・・。いくら鍛えようとも・・・お前は・・・お前達は・・・」
そこから先の言葉は汐には聞こえない。ただ、自分の心臓が少しでも生き永らえたいと懇願するように動く音だけが響く。
しかし、鬼の気配はそんな彼女の小さな願いですら踏みにじるかのように強くなった。