第60章 兆し<肆>
「そうですねぇ・・・」
下弦の壱はねっとりとした声でそう言うと、赤く染まった顔を無惨に向けて語りだした。
「私は夢見心地で御座います。貴方様直々に手を下していただけるなんて。他の鬼の断末魔を聞けて楽しかった。幸せでした」
そう言う下弦の壱の表情は恍惚感に満ち溢れており、心の底から幸せを感じているようだった。その異様さに、下弦の参は思わず目を見開く。
「人の不幸や苦しみを見るのが大好きなので、夢に見る程好きなので、私を最後まで残してくださってありがとう」
そんな彼を無惨はしばらく見据えていたが、目を細めたかと思うと肉片を針のようにとがらせ下弦の壱の首筋に打ち込んだ。
そこから大量の血が下弦の壱の身体に流れ込んでいくと、彼は苦し気に喘ぎながらのたうち回った。
「気に入った。私の血をふんだんに分けてやろう。但しお前は血の量に耐え切れず死ぬかもしれない。だが、順応できたのならば、更なる強さを手に入れるだろう。」
――そして私の役に立て。鬼狩りの柱を殺せ。
「耳に花札のような飾りを付けた鬼狩りと青髪の娘――ワダツミの子を殺せばもっと血を分けてやる」
無惨は自分の耳と髪を指さしながら無惨は下弦の壱にそう命じた。
再び琵琶の音が鳴り響くと、無惨の姿は何処へと消えてゆき、下弦の壱もまた別の場所へと戻された。血を与えられた反動ですぐには動けなかったが、彼の頭の中に何かが浮かんでくる。
それは、自分に向かって走ってくる耳に花札のような飾りを付けた少年と、青い髪を揺らしながら歌を奏でる少女の二人。
「うふ、ふふふ、は、柱と、この子供二人を殺せばもっと血を戴ける・・・夢心地だ・・・!」
下弦の壱の声は、闇の中に静かに消えていった。