第60章 兆し<肆>
(これだけ離れれば、何とか逃げ切れ・・・)
しかし下弦の参が気が付いたときには、その頭は無惨の右手に掴まれていた。頸から下はなく、流れ出る血が畳を赤く汚していく。
「もはや十二鬼月は上弦のみでよいと思っている。下弦の鬼は解体する」
何が起こっているのか分からず、下弦の参は目を瞬かせた。琵琶の女鬼の能力だろうか?いや、彼が思う限り琵琶の音はしなかった。
そしてなぜか、日光か日輪刀でしか致命傷を与えられないはずの鬼の身体が再生しない。
「最期に何か言い残すことは?」
下弦の参の頭を無造作に投げ捨てながら、無惨は残っている二人の鬼に問うた。すると下弦の弐が顔を上げると、必死に無惨に訴え始めた。
「私はまだお役に立てます!もう少しだけ御猶予を戴けるならば必ずお役に!」
「具体的にどれ程の猶予を?お前はどのように役に立てる?今のお前の力でどれ程のことができる?」
無惨が問いかけると、下弦の弐は一瞬だけ言葉を切ると、思いついたように答えた。
「血を!!貴方様の血を分けて戴ければ、私は必ず血に順応して見せます。より強力な鬼となり戦います!!」
「何故私がお前の指図で血を与えねばならんのだ。甚だ図々しい。身の程を弁えろ」
しかし彼の必死な訴えは、無惨の怒りに満ちた声によって再びかき消された。
「違います!違います!!私は、私は――」
「黙れ。何も違わない。私は何も間違えない。全ての決定権は私にある。私の言うことは絶対である。お前に拒否する権利はない。私が正しいと言ったことが正しいのだ。お前は私に指図した。死に値する」
そして下弦の弐も、また物を言わぬ屍となった。
「最期に言い残すことは?」
一人だけ残った鬼に、無惨は先ほどと同じ質問を投げかけた。下弦の壱は顔に血をべっとりと付着させながら、呆然と無惨を見上げている。
(こいつも殺される。この方の気分次第ですべて決まる。俺ももう、死ぬ)
下弦の参は、薄れていく意識の中そんなことを思っていた。頭が崩れ出し、最期の時が近いことを感じていた。