第56章 迷走<肆>
「・・・はい?」
突然告げられた言葉に汐は言葉を失い、甘露寺をまじまじと見つめた。彼女は花のような満面の笑みを浮かべながら自分を見ている。
(え、ちょっと待って?この人今なんて言ったの?ツグコ?ツグコって確か・・・)
汐の脳裏に、この屋敷に来たばかりの頃に隠が話していた言葉がよみがえる。確か継子と言うのは柱が育てる弟子の事で相当な才能がなければ選ばれないと聞いた。
そんな地位に、目の前の恋柱甘露寺蜜璃は自分を迎えようというのだ。
それを理解した瞬間。汐は耳をつんざくような悲鳴を上げた。響き渡る大声に驚いた鳥たちが、一斉に飛び立つ。
「継子って、カナヲみたいなやつでしょ!?あたしが!?なんで!?」
混乱する汐に、甘露寺は満面の笑みのまま、嬉しそうに答えた。
「初めてあなたを見た時、これ以上ない程胸がキュンキュンしたの!大切な人たちを守るためならどんな恐ろしいことにも立ち向かうあなたの姿を見た時、継子にするなら絶対にあなたがいいと思ったから!」
「でもその前に呼吸法とか違うんだけど・・・」
「柱がいいなら呼吸が違ってもいいのよ。現に、しのぶちゃんの継子のカナヲちゃんが使う呼吸は、しのぶちゃんとは違うし」
「え?そうだったの?それは知らなった・・・」
じゃなくて!と、声を荒げる汐に、甘露寺は慌てた様子で付け加えた。
「もちろん無理強いするつもりはないし、決定権はあなたにあるから。だけど私は本気であなたを継子に迎えたいと思っている。それだけは嘘じゃないから」
甘露寺の薄緑色の眼は嘘をついているものではなく、本気で汐を継子に迎えたいと思っているものだった。
汐は迷った。もしも柱である彼女から直々に指導を受ければ、大切な人たちを守り無惨を倒せるかもしれない。
けれど、今の状態の自分では貴重な指導も身につくとは思えない。そんな相反する気持ちを吐き出そうと汐が口を開いた時だった。
出てきたのは言葉ではなく、空気を震わせるほどの大きなくしゃみだった。
「大変!そういえばあなたびしょぬれだったわね。すぐにお屋敷に戻りましょう」
甘露寺はそう言って汐を促すが、汐は表情を渋らせたまま動かない。甘露寺は一瞬怪訝な顔をしたが、彼女の意図を察知し小さな声で「こっそり戻りましょうね」とだけ言った。