第56章 迷走<肆>
日が落ち夜の帳が降りたころ。目を覚ました禰豆子は、箱から出て兄の帰りを待っていた。
最近はいろいろと忙しいらしく疲れた顔をして帰ってくるのだが、禰豆子が起きていると笑顔で頭をなでてくれるので彼女はいつもそれを楽しみにしていた。
だが、禰豆子が楽しみにしているのはそれだけではない。時々自分に会いに来る姉のように慕う彼女が聞かせてくれる歌も、禰豆子は同じくらいに楽しみにしていたのだ。
しかし、その日に炭治郎が戻って来た時、禰豆子はぎょっとした。彼の雰囲気が尋常じゃない程陰鬱なものになっていたのだ。
禰豆子は困惑した表情で炭治郎の下に駆け寄ると、彼は引きつった笑顔のまま禰豆子の頭をなでた。いつもならうれしいはずのその行動に、禰豆子は違和感を感じた。
炭治郎はベッドに座ると、大きなため息をついて頭を抱えた。禰豆子がそっと膝に手を置くと、炭治郎はぽつりぽつりと語りだした。
「禰豆子・・・。俺、汐と喧嘩しちゃったんだ。汐の様子がなんだか変だと思ったから声を掛けたら、ものすごく怒られて、それで俺もかっとなって言い返したら――。あれから汐も訓練場に来なくなっちゃったんだ」
そこまで言って炭治郎は、もう一度大きなため息をついた。
「なんであんなこと言っちゃったんだろう。冷静に考えてみれば、匂いでわかってもその人の心の全てまでわかるわけじゃない。誰にだって知られたくない心のうちなんてあるに決まってるのに、汐の言う通り俺って無神経だったな」
三度目のため息をつこうとしたとき、禰豆子は炭治郎の腕を掴んで軽く引っ張った。顔を上げると、真剣な表情の彼女と目が合う。
そう言えば昔、下の兄妹たちが喧嘩をしたときよく自分と禰豆子が仲裁に入っていたっけ。と、炭治郎は思い出していた。
――言いたいことはきちんと言わなければいけない。そして、悪いところがあればきちんと謝らなくてはいけない。
「そうだな、そうだよな。まずは汐ときちんと話さないといけないとな。もしかしたらまた喧嘩になるかもしれないけれど、俺の気持ちをきちんと伝えないと」
よし!と、炭治郎は頬を叩いて気合を入れた。その眼は決意に満ち溢れている。
「汐と話をしてみるよ。兄ちゃん、頑張ってみる!」
炭治郎の力強い言葉に、禰豆子は目を細めてうれしそうに微笑むのであった。