第49章 ワダツミの子<壱>
汐はとっさに傍で座り込んでいる炭治郎を見た。彼は一瞬だけ目を見開いたが、それは直ぐに優し気なものに変わった。
――汐なら絶対に大丈夫。
その眼には汐に対する確かな信頼が感じられ、それを見た瞬間汐の中から緊張と恐れがみるみるうちに溶けて消えていった。
(炭治郎・・・)
汐は意を決して立ち上がり、あたりを見回した。そして目に入ったのは、腕から血を流す不死川と傷つき興奮している禰豆子。
そして耀哉、お付きの少女たちを見た後ゆっくりと目を閉じた。
今この場で歌うべき歌。傷ついたものを癒す歌。皆に活力を与える歌――
汐が口を開いた瞬間、空気が一変した。透き通るような歌声が、空へ上るようにどんどん高くなってゆく。
と、思った瞬間。声の高さが瞬時に変わり、波のように皆の心をさらっていった。
柱達の体に衝撃が走り、鳥肌が立つ。柱達の体に衝撃が走り、鳥肌が立つ。体中から余計なものがそぎ落とされ、魂が浄化されるような旋律。
まるで温かい海に包まれるような不思議な感覚だった。
それはまるで、全ての命を生み出した母なる海の中にいるかのよう。
柱だけではなくお付きの少女たちも唖然としながら汐を見つめ、耀哉は目を閉じうっとりとその歌に聞き入っていた。
炭治郎は歌を奏でる汐から目が離せなかった。瞬きすら惜しかった。息をすることすら忘れた。
今まで彼は何度も汐の歌を聴いてきたが、今奏でられているそれはいつもの歌とは全く違うものだった。
背景すら目に入らず、彼の目に映るのは青髪を揺らし美しいという概念すら払拭した歌を奏でる、一人の少女だけ。
否、今彼女を【人】と呼んでいいのか炭治郎にはわからなかった。
前に、善逸が汐の声は人のものではないと言っていたことを炭治郎は思い出した。
その時は何を言っているのか分からなかったが、今ならばその意味が理解できる。
汐の声は人ではない。かといって鬼でもない。人と鬼を通り越した何か。
今目の前の彼女を、人と呼ぶにはあまりにも神々しすぎた。
「かみ・・・さま」
炭治郎の口から思わず零れた言葉は、汐の歌声に乗り溶けてゆく。
その時、その時、一瞬だけ炭治郎は不思議なものを見た。
青く長い髪を靡かせながら、白金色の月を背にして歌う見知らぬ女性。だが、それは本当に一瞬のことで瞬きをした瞬間、その女性は汐の姿に戻っていた。