第36章 幕間その参
「はーい、頭の石鹸流すよ~。目を閉じててね」
汐がそういうと、禰豆子は言われたとおりに両目を閉じる。それを確認した汐は、風呂桶の湯を禰豆子の頭にゆっくりかけてゆく。
泡が流れ落ちるまで何度か繰り返すと、禰豆子は顔をプルプルと横に振る。それはまるで、ずぶぬれになった猫が毛を震わせているようにも見えた。
そんな禰豆子の頭を、汐は手ぬぐいで丁寧にまとめる。それから彼女の手を引いて湯船につかった。
「鬼だって体は綺麗にしないとね。どう?禰豆子。熱くない?」
汐が訪ねると、禰豆子は大丈夫だというように首を縦に振った。目の前で湯につかっている禰豆子は口に竹を咥えている以外は、どこにでもいる普通の少女のようだ。
(こうやって見ると、禰豆子も普通の女の子みたいに見えるわね。この子が人間じゃないなんて誰が想像できるかしら)
気持ちよさそうに湯につかる禰豆子を見て、汐の顔がほころぶ。これとよく似た光景を汐はかつて見たことがあったからだ。
それは昔。汐が故郷の村で暮らしていたころ。幼馴染の絹と一緒に風呂に入った時の事だった。
母親を早くに亡くし、父親も漁で数日返らないこともあった幼い絹を汐はよく面倒を見ていた。何度も互いの家に泊ったこともある。
けれど、今は村も絹もいない。過去へは決して戻ることができない。ただの思い出でしかないのだ。
そんな汐が気になったのか、禰豆子がそっと手を伸ばして汐の頭をなでる。驚いて顔を上げると、彼女は心配そうに汐の顔を覗き込んでいた。
「ああごめんね、ちょっとぼーっとしてたみたい。でも大丈夫よ」
汐は笑ってそう答えると、禰豆子は今度はその手を汐の右肩に置いた。
浅草で鬼の襲撃を受けたときに負った傷。傷自体は癒えたものの、肩には僅かだが跡が残っている。それを禰豆子は、ゆっくりと優しくなでていた。
(ああ、なんて優しい眼をするんだろう。やっぱり炭治郎の妹だわ。どこまでも優しくて、綺麗な眼。この眼を、あたしはずっと見ていたい)
「ねえ、禰豆子。お兄ちゃんのこと、好き?」
汐がそう尋ねると、禰豆子はきょとんとした表情で見つめ返した。その顔を見て、汐は直ぐにそれが愚問だったことを悟る。
「ううん、好きに決まってるわよね。野暮なこと聞いてごめんね。さて、そろそろ上がろうか。逆上せたら大変だからね」
汐はそう言って禰豆子を連れて湯船を出るのであった。