第31章 歪な音色(前編)<肆>
襖の向こうにいたのは、柿色の着物を着た一人の少年だった。その手にはわずかに血の付いた鼓を持っている。
汐と彼の視線がぶつかると、その表情は一瞬で怯えたものとなり鼓に手を伸ばす。
その刹那汐は思い出した。あの二人に聞いた着物の色が目の前の少年と一致することに。
「正一、てる子!!」
汐はとっさに二人の名を叫んだ。すると少年はびくりと体を震わせ鼓を叩こうとした手を止め汐を驚いた眼で見つめた。
「ど、どうして弟と妹の名前を・・・?」
その言葉に汐は心底ほっとして息をついた。先ほど見た死体を思い出し、彼が生きていることに心底安心した。
それから怖がらせないようにゆっくり近づく。
「あたしは大海原汐。あんたの弟と妹に頼まれてあんたを助けに来たのよ。鬼――、化け物にさらわれたって聞いてね」
化け物という言葉に少年の顔が青ざめる。それをみた汐は慌てて訂正した。
「大丈夫。近くに化け物はいないわ。信じられないかもしれないけれど、あたしは化け物の気配を感じることができるのよ」
汐は少年のそばに近づくと彼の視線に合わせて腰を下ろした。にっこりとほほ笑んで見せると、彼の表情が少しずつ和らいでいく。
「あんたの名前、教えてもらってもいい?」
汐が訪ねると少年は小さな声で「清」と名乗った。
「清ね。本当に無事でよかった。一人でこんなところに閉じ込められて怖かったでしょう?でももう大丈夫。あたしのほかにも仲間が来ているから、必ず化け物をやっつけて外へ出してあげるからね」
汐の力強い言葉が清の耳から心へ染みこんでいく。その瞬間、彼の両目から涙があふれ出しそのまま汐に縋りついた。
激しく上下する清の背中を優しくさする。それと同時に早く正一とてる子に会わせてあげたいという気持ちが膨れ上がった。
やがて少し時間がたち清が落ち着いてきた頃、汐はそっと彼に尋ねた。
「そういえば清。あんたがさっき叩こうとしたその鼓は?」
汐がそばにある鼓を指さすと、清は目を伏せながら徐に話し始めた。
「これは、ば、化け物が持っていた鼓なんだ。これを叩くと部屋が変わるから・・・逃げてこれたんだ」
「化け物・・・。つまりこれは鬼の血気術でできた鼓ね。それを奪うなんて、あんたなかなか肝が据わってるじゃない」
汐が笑いながら褒めたその時。清がわずかに顔をしかめた。