第29章 歪な音色(前編)<弐>
「この人はあんたたちの兄さん?」
そう尋ねると、少年は震えながらも首を横に振った。
「に、兄ちゃんじゃない。兄ちゃんは柿色の着物を着てる」
その言葉を聞き、少なくともこの子たちが絶望することを回避できたことに汐はほんの少しだけ安心する。が、そうなるとこの家には複数の人間が捕まっていることになる。
急がなければ、さらに犠牲者が出ることは確実だろう。
「行くわよ、炭治郎」
「ああ」
汐の凛とした声に、炭治郎は力強く答える。そしてそっと男を横たえると、二人は手を合わせる。
「善逸、行こう!」
炭治郎は善逸のほうを振り返るが、彼は青ざめた顔で首を何度も横に振った。
「あんたね。今この状況を打開できるのはあたしたちだけなのよ。この家からは複数の鬼の気配がする。相手の強さが分からない以上、戦力は多いほうに越したことはないわ」
「汐の言う通りだ。今助けられるのは俺たちだけなんだぞ」
二人がそういうも、善逸は涙目になりながら震えているだけで一向に足を動かす気配がない。
そんな不甲斐ない彼に、ついに炭治郎の堪忍袋の緒が切れた。
「そうか。わかった。行くぞ、汐」
今までとは全く違う低い炭治郎の声に、汐の背筋に冷たいものが走る。今までも何度か彼が怒ったことはあったが、いずれも汐が戦慄するほどのものであった。
現に、炭治郎の顔には般若の如き恐ろしい表情が張り付いている。
それを見た善逸は飛び上がると、慌てて歩き出す炭治郎に縋りついた。
「ヒャーーッ!!何だよォーッ!なんでそんな般若みたいな顔すんだよ!!行くよおお!!」
しかし炭治郎はそんな善逸に「無理強いするつもりはない」と、冷たく言い放った。善逸は泣きながら何度も「行くよ!行くからあ!!」と炭治郎の足元で叫んだ。
(あの炭治郎をあそこまで怒らせるなんて相当よ・・・)
そんな二人を、汐は気持ち悪いものを見るような眼で見つめていた。