第53章 私を忘れないで…
「喜助、何をしておる」
足音をたてないようにゆっくりと、みんなが寝静まった暗い家の中を歩いていた喜助は動きを止めた
「そんなものを持ち出してどうするつもりじゃ?」
喜助はゆっくりと振り返った
「見つかっちゃいましたねぇ」
「誰に使うつもりじゃ」
喜助が視線を落とした先の手には、小型の記憶置換装置が握られていた
「いやらしい人だ、分かっているくせに」
「良いのか」
「…最初は、記憶はそのままにしておくつもりでした。向こうの記憶は消したから、それでアタシは満足したと思ったんス」
記憶置換を握りしめる
暗がりに、夜一の姿がぼんやりうつる
「だけどやっぱり耐えられない。向こうに記憶はなくても、紫苑に記憶が残っている。キスされたことを、紫苑が思い出すなんて嫌なんス…」
本当は、紫苑の人生全てのそういった記憶を消し去りたいくらいだ
「止めますか?」
「100年前の喜助も喜助じゃろうに。お主の言うことは今でも時々良く分からん」
褒め言葉として受け取っておきます、と喜助は小さく笑った
「なら昔、紫苑が襲われた時の記憶も消してやれば良かったのではないか?紫苑が男嫌いになった原因じゃろ」
「アタシも実はそう言ったことがあるんスけど、紫苑が消さなくて良いって言うんス」
腑に落ちない表情の夜一に喜助は続けた
「助けてくれて嬉しかった。アタシの存在が大切だと思えたし、大切にされていると思えたから、忘れたくないって」
「ただのノロケか」
夜一は勝手にしろとばかりにあくびをしながら、喜助に背を向けた
だけど今回は違う
「彼はアタシであって、アタシじゃないんスよ…」
紫苑と出会う前の自分なんて思い出したくもない
不摂生で女は取っ替え引っ替え
毎日のように誰かと肌を合わせていた
あんな汚い男、紫苑に触って欲しくない
…虫酸が走る
もう一度やり直して、紫苑のためだけに生きたい
喜助は記憶置換装置を握りしめ、紫苑の前に座った