第10章 あなたと私の火曜日
イルミが返答を言い終える前にキキョウはさっさと振り返り脚を進めてしまう。
イルミはドレスの裾を引きずる母の背中に声をかけた。
「ねぇ 母さん」
「……何かしら」
どうやら相当御立腹のようで キキョウは振り向きもせず 冷たい声色を放つ。母が気分に左右されやすい性分なのはよく知っているし、構わず話を続ける。
「オレの脇腹にある傷さ。あれって昔 親父がやったんだよね?」
「……ああ……ええ、あったわね そんな事も」
キキョウの先程までの刺々しい雰囲気が一変し急に雰囲気が和らいだ。キキョウは静かに振り返るとイルミを懐かしそうに見る。
「出血もかなり酷くて内臓も幾つか潰れていたし危なかったのよ」
「ふうん」
「アナタは幼かったし覚えていないでしょう?」
「うん」
イルミ自身 母から何を聞き出したいのかはよくわからなかった。適当にふった話題と言えなくもないが、キキョウは思いのほか懐かしそうに 当時の様子を流麗に話してくれる。
「……とにかくね パパも稼業を継いだばかりで日も浅かったものだから 自分の子供を殺したんじゃないかなんて焦ってたわね。全くこの家の当主である身なのにたったその程度の事で狼狽するなんて滑稽ね」
毅然と言い切るキキョウを見ながらミユの事を思い出した。
イルミにしたら取るに足らぬ些細な所用や揉め事を、ふにゃんと眉を落としながらやたら心配していた姿が脳裏に浮かんだ。
目の前の母の様子とそれを比べる。幼い我が子が死にかけた過去をその程度扱いする母の真意、何と無くわかる気もするが 確認を込めて聞いてみる。
「母さんはオレの事心配にならなかったの?」
「ええ。少しも」
イルミの質問が解せないと言いたげなキキョウは 細い首を上品に傾げて見せる。当然だと言わんばかりにはっきり告げた。
「我が家の血を引くアナタが簡単にくたばる筈はないもの」
「それは結果論じゃないの?」
「ほほ、イルったらその辺りは青いのね。母親は常に我が子の事を1番理解しているものよ」
キキョウは嗜める様子で得意げに言った。
1番かどうかはわからないがミユよりはこの母の方が自分の事を理解しているのは確かだろう。