第9章 あなたが帰る月曜日
午後に入ってから美結の頭は止まったままだった。
例えばあのイルミに泣いて縋ってみたとしたら 完璧なまでの鉄面皮を少しでも崩す事は出来るのだろうか。自作のシミュレーションが頭を回っている。
「河合さん ちょっといい?この企画書なんだけど手直しして欲しい箇所があって」
しばらくは形だけの仕事をしていたかと思う。上司に声をかけられるが それでも意識はこことは別の場所にあり 戻って来そうになかった。
「河合さん?聞いてる?」
「え、あ…はい…」
ちらりとパソコンで時間を見た。14時17分。
異世界から来たイルミはあと少しでこの世界を去る。それは永遠の別れを意味する。
彼氏と別れるのとも 好きな人に振られるのとも 今回は訳が違う。
今を逃せば2度と会うことはない相手なのだから。
頭の中で、何かが爆発した気がした。
「河合さん?」
「あの、すみません…」
「なに?どうしたの?」
「週末風邪引いて それがまだ治ってないみたいでなんだか体調悪くて……急にすみませんが 早退させて下さい!!」
無理矢理に上司許可を得た。
パソコンを強制終了し、デスク上に散らかる書類を雑に束ねて引き出しへ入れる。通勤バッグを肩に掛け エレベーターに乗るとすぐに閉まるボタンを連打した。
会社のエントランスを出るや否や 美結の爪先の尖るパンプスはアスファルトを蹴り上げ 乾いた音を響かせる。胸元では外す事すら忘れていた社員証が大きく左右に揺れていた。
会社から家までは30分強。今ならまだ間に合うはずだ。
「…………っ」
もしも電車が遅れていたら、もしも予定より早くにイルミが帰ってしまったら。次々と胸に浮かぶマイナス思考を打ち消すように 必死に駅へ向かった。
電車に乗っている時と信号を待っている時間以外は走っていたかと思う。履き慣れた筈のヒールの高いパンプスを本気で疎ましいと感じた。
息を切らしながら本日2度目のアパートまでの道のりを必死に進む。
「…はあ はあ…あれ、…鍵…っ?」
部屋のドアに手を掛けると鍵が閉まっている事に嫌な予感を覚える。鍵を探すべくバッグを雑に漁っていると、あっさりドアが開けられた。
「どうしたの?」
「イルミ…っ、」