第1章 温みの灯った日
「うるせえよほっとけあのボケ教頭。ちょっとでも自分の好きなもん置いてないと無理……」
強めの酒を一気に煽る。それなりに酒は強い方だし今日一緒に呑んでいるのは絶対に自分に手を出さないと分かっている友人だ。何かやらかしてもまあ問題は無い。
「そんなに大変なの」
涼し気な目元のおかっぱ頭の先輩は無表情に見えて、目が雄弁だ。労りと共にこちらの気持ちを推し測ろうと伺う視線に押されるがままに口からはぽろりと言葉が滑り落ちる。
「音の聞き分けが苦手で言葉で人と周りの話し声と物音が全部ごちゃ混ぜに聞こえるせいで口頭での説明を聞き取るのがしんどい子がいるの。その子をもってる担任に絵と文章を見せて分かりやすくしてあげるとこの子は理解しやすいようなのでなるべくそうしてあげてくださいと言ったら、誰かに構って欲しくて聞こえないフリしてるだけで本当は聞こえてるんですよ、子供の悪知恵に騙されちゃダメですよと言って一向に改善しなくて。
その子は結局あのクソ担任のせいで教室にいるのがしんどくなってしまって毎日お腹が痛い、頭が痛いと理由をつけて教室を抜け出して来室するの。その子が不登校にならない範囲で話を聞いてあげて、10分だけ居ていいから、時間になったら教室に戻ろうねと言って教室にかえしてるんだけど、担任からは先生が構うから調子に乗るんですやめて下さいと苦情を入れられる板挟みに毎日挟まれてまーす。これで元気に職場にいける人が居たら正気を疑う」
「お疲れ様です」
神妙な顔で会釈しながら私に温かいお茶を差し出してくれたのでそれを両手で包んでゆっくりと飲み下す。ぷは、と飲み込んで自然と漏れる声を区切りに心の整理がついた。
「別にね、仕事は嫌いじゃないよ。子供は可愛いし……でも、同じ仕事をしてる大人の無理解と不寛容さには少し……失望、するなあ」
ぽろ、と零れたのは言葉が先か涙が先か、分からない。ダメだ、いつも酒を入れると泣いてしまう。泣き上戸ではないのに仕事の話をすると涙が出てしまう。
「……もう、限界なんじゃないですか。辞めた方が……」
「辞めないよ。孤独や攻撃に屈して逃げたら誰があの子を守るの」
「じゃあ遅実先輩を守ってくれる人は誰なんですか」
私は曖昧に笑う。下手くそに笑った顔を見て彼が顔を顰めた。
「ありがとう、熊谷くん。いつも聞いてくれて」