第4章 あなたは紙の華
そんな事もあったな、と思えるようになるのに5年かかった。
26歳になった私は相変わらず熊谷くんと、兎原くんに誘われて飲んでいた。
「上司殴ってクビって……結構な出世街道に乗ってたんじゃなかったっけ」
「理不尽に対して黙って頷いていなきゃいけないんですか」
「嫌なことされたなら声をあげなきゃ行けないとは思うけど、殴るのは良くないかなあ……」
拳で解決できることなんてないよ、なんて詭弁かもしれないけれど。そう言って堂々とお酒をのめるようになった熊谷くんの空いたグラスにビールを注ぐ。
兎原くんは既に半酩酊状態なので水を差し出した。
「……俺は、そんなこと知らなかった」
「うん、そうだね。どんな形であれ熊谷くんが傷付くと分かって言葉や態度や立場で殴ったのは上司の方だものね」
熊谷くんは人を殴ってしまったこと以外はなんにも悪くないよ。そう言って、私が落ち込んでいるように見える熊谷くんの頭に腕を伸ばす。よしよし、と撫でるとそこまで子供じゃないです、と言いはするものの振り払ったりはしない。
兎原くんが俺も俺も!と言って頭を差し出すので兎原くんにも手を伸ばそうとするけれど、熊谷くんがお前はなんもしてないだろと言いながら兎原くんの頬をつねる。
「早苗さんってそういや彼氏いないんすか、俺とかどうっすか」
兎原くんがなんの脈絡もなくそういう。熊谷くんはぎょっとしたように兎原くんの方を見て、それから伺うようにこちらを見る。
「嫌よ、兎原くん私の収入に頼りきっちゃうでしょ。ちゃんと稼いでくる人がいいな……兎原くんの箸の持ち方綺麗なところは好きだけど。熊谷くんも魚綺麗に食べるとこ素敵だと思うよ」
「脈がないならいっそ冷たくして欲しかったっす……」
兎原くんが面白くなってモテたい、とボヤいてお冷を飲み干す。あんなにいっぱい冷たい水をのんだらお腹が冷えてしまう。温かいお茶を頼んで、そろそろお開きにしようかなと算段をつける。
「俺はダメですか」
珍しく熊谷くんがそう言った。冗談なのか本気なのかは分からないけれど、私は曖昧に微笑んで首を横に振る。
「忘れられないんですか」
横に、首をふる。
「私はもう、満たされてしまったから、これ以上は要らないの。それだけよ」
ねえ、どうして熊谷くんが傷ついたような顔をするの。
私はそういうことも出来ずやはり曖昧に微笑んだ。