第4章 《エルヴィン》堕ちる ※
「あ……あ…ごめんなさい…」
思わず謝罪の言葉が出た。コップごとひっくり返すつもりなどなかったのだ。
男は俯きながらシャツの染みを見つめている。
どうしよう、どうしよう…
しかし男が発したのは予想外の言葉だった。
「君にはかかってないか?」
怒る様子は微塵もなく、それどころか心配そうな顔でこちらの様子を伺っている。
「…だ、いじょうぶです……」
「ならよかった。全部なくなってしまったね。ちょっと待ってなさい。」
男はそう言うと再びキッチンに消えていった。
エマはティッシュでソファと床にこぼれた紅茶を拭き取った。手が震えている。
「はい。麦茶の方がいいかな?大丈夫、毒なんて入っていないよ。」
カラン、と涼しげな氷の音と共に冷えた麦茶を渡された。
「………すみません。」
今度は素直に受け取って口をつける。
男の言う通り喉は酷く乾いていて、気が付けば一気に飲み干してしまっていた。
「ハハ、いい飲みっぷりだな。」
「…………」
何でこんなに普通でいられるんだ、この男は。
誘拐して、こんな淫らな格好にさせて監禁をほのめかすような発言をしておいて、なぜ…
自分には到底理解できない。
普通の神経ではない。
男と目を合わせないまま下を向いていると、上から声が降った。
「毎朝君を見てたんだ…電車の中で。いつも後ろから2番目の車両に乗ってきて、私の降りる駅の3つ前の駅で降りていく。毎朝僅かな時間だけど、君の姿を見られるのが楽しみで仕方なかった。
…いつか私の元へ来てくれないかと胸を焦がす日々だった。」
次の瞬間、強い力で腕を掴まれ、エマの体は男の胸へと引き込まれてしまう。
「やっ!離し」
「昨日はたまたま終電になってしまったんだが同じ車両に君が乗っているのを見て、これは運命かもしれないと思ったんだよ。」
きつく抱きしめられて優しく頭を撫でられる。
「やめてっ!」
「やっと私の元へ来てくれたんだね…」
男の言動に背筋が凍りついて、耳元で囁く声に身の毛がよだち、頭がクラリとした。